止めることにも勇気がいる。
今日は、久々に研修会に参加した。民間研修会には半年以上行くのをやめていた。自分の中で思う部分もあって行くことをずっと止めていた。
止めたら周りに遅れを取るとかおいていかれると思う自分と、前々から一度止めたかった自分がいた。
それで、止められるチャンスがあったので、一度止めてみた。
ただ、何か始めることはそうだけれど、止めるということにもすごい勇気と、計り知れないエネルギーが要る。自分がずっとやってきたものになればなるほどそうだったということも知る。
どうして今回は行こうと思ったのかは、行ってわかった。参加者の1人に引き寄せられたのだと思う。それは、相手も同じことを考えていたから、間違いないと思う(笑)
日帰りで余裕で行ける距離でも、割りかし遠かったので行くことを何度も、むしろギリギリまでためらった。でも、何故か行きたい気持ちになった。そして、誰も選ばないと踏んだマニアックな経路で行ったところ、なんとバス停に、しかも同じバスに乗ろうとしていた、以前から仲良くさせていただいている先生と出会えた。この人こそが、私を呼んだ人で向こうもそう思っていた人だった。
差ぜきも隣に座り、お昼もご一緒させてもらって色々話す。この半年ほどの境遇も見事おなじで驚いた。向こうも、研究会から遠ざかったり、どうしても読めない先生の本があってつらい時期があったことを知る。
研究会の内容は、自分のことを書き出して向き合う内容だった。これをもとに自分の特性、思考の癖を考えて、学級経営、授業運営をする、日々をどう過ごすかを書き出して理論的に考えるような内容だった。
わたしも今まさにそれと同じような本を読んでいたので驚いた。
ここ数年、何度も思うことは悩んでいる時、困っている時にここぞと云うばかりに、マッチした本、人、研究会に出会うことが出来る。
今回もきっとそうだったんだと思う。
出会いを引き寄せてくれた先生と、帰ってから少しやり取りする。
自分のことも少し伝えた後に、「やっぱり、あなたのことが好きだと思う。」という言葉と「前より穏やかになったね。」と言ってもらえたことがどれだけ嬉しくて、勇気をもらったかということを心に留めておきたい。
語る。
なんでも受け止めてくれる友人と昨日は過ごした。
せっかくだからと前から見たかった、タスマニアデビルを観に行った。
日本で見られるのはここだけ。デビルってつくくらいだから凶暴なのだけど、可愛かった・・・
たくさん、いろいろなことを話す。
話すと、思考が整理される。
特別なことやすごいことではなくて、愚直に足元を見続けて進もう。
そういう話を丁寧にした。そういう話ができる人がいてくれることが幸せだ。
1人で生きるのはつらいし、私は強くないので1人では生きられない。
強くなりたいと思ったけど、もう無理だ。笑
カバーしてくれる人がいることが有難く幸せなことだ。
1人ではがんばらない。けれど、足元を見続けていこうって改めて思ったわけですよ。
しかし、このタスマニアデビル可愛すぎる・・・・・
仕事始め。と、わたしへ。
仕事始めでした。
今日は予定されていた学級会議もなく、ひたすら自分の仕事時間に当てることが出来た。ただ、ずっとパソコンに向かって、学習計画立てたり、指導報告書作ったりするのは本当にすぐに疲れる。
早く子どもと接したいという気持ちになるし、私の場合はこどもと接している方が元気が出る。むしろ、子どもから生気を奪い取っているのかもしれない。笑
この前きた新聞の訪問販売の人に、大学生ってこの年なのに言われた。笑笑
とまぁ、さておき。
学習計画を立てていると、自分の知識の無さと勉強不足にがっかりし焦燥するのだけれども、もっと学びたいという意欲も一緒に沸き起こってくるわけで、やっぱり仕事が好きなんだと思う。
今年は、積み重ねて残る仕事をすることが目標だ。それが、ティッシュ一枚分の薄さだっていい。ティッシュ一枚分だって、重なれば分厚くなるんだ。
一枚分も残せいいほうが悔しいじゃないか。
残る仕事をしよう。
とか言っている矢先に、さっき元日から今日までの5日分の日記を一気に書き上げるもんだから、どこの小学生だよっていう感じだ。でも、だからダメだとか思って書かないよりかはいい。今年はいろいろなことを前向きに、プラスに考えよう。性格が腐っているので、なんでもマナスに考えたり、批判的にすぐ捉える考え方ももうやめよう。まぁ、人間なので、いつもプラスに明るくは出来ないのだけど、何事も前向きに考えたいお年頃。
早速、仕事帰りにこの地域で一番大きい本屋さんに寄った。
『特別支援教育研究』の雑誌を買う。特集に惹かれた。今年は特別支援コーディネーターをしている。もっと出来ることはあるけれど、模索しながらやっている。
今年の目標のまた1つに、雑誌購読があって、感想はブログに綴ろうと思う。発信は誰のためと考えたけれど、自分のアウトプットのためだ。誰かに読んでほしいとか、発信して何かを変えていきたいとかではなく、自分のティッシュのような薄さでも積み重なる軌跡の記録として発信をしたいんだよね、私たぶん。だけど、何のためにを誤認識していたから続かなかったのだと思う。
これからは自分のための発信。
だから、雑誌も買って満足ではなく読んだらここに書く。書くのはこの記事を誰かの目に止めてほしいとか発信して何かを変えたいとかじゃなくて、自分の軌跡。
こんなに時間がかかってやっとそもそも論に辿り着く。
私は気付きも学びも人一倍かかる。
今年も、歳の近い人達がどんどん飛躍して、どんどん進んで焦ったり、悔しんだりすると思う。だけど、人生焦っちゃいけない。本当の意味でやっと納得できそうなところまで来ている気がする。
もっと自分との対話を大切にしていこうよ、自分。
という、自分への発信を書いたのでした。
さぁ はじめよう、
新年です。あけましておめでとうございます。
元日は大好きなシドさんのライブに当たったので、人生初の箱ライブを体験。
何だこれ、めちゃめちゃ楽しいじゃん …!!
と、元日から新しいワクワクを見つけ、はっちゃけ筋肉痛2日目(笑)
今日の内に今年はだいたいどんなことしたいか、どうやって進んでいくか、とかいわゆる抱負的なものをノートに書き出しておこう。
今年のキーワードは決断力。
と、共に『書く』もキーワード。
3年日記も今年から新しくした。5年はもうやめた。
去年は管理職と話していて、やっぱり3年ですね…と、思うことがあったから3年にした。
ということで、備忘録。
①決断力
②書く
③生活のリズムを保つ
④読む
⑤創る
くらいにしておいて、後は手元のノートで自己対話しておこうと思う。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いろいろな人にあって、話して、その中で自分を深められる一年になればと思います。
後もう少しだけ、お正月気分。
今年ももうおしまい。
気がつけば2017年も今日で最後。
色々ありましたけど、一番と言いたい思いではたくさん。
学びに行ったり、少し疲れて立ち止まったり、趣味が再発したり(笑)、でも総じていい年だったと思います。
もっと〇〇したいとか、人と比べることも多くて気持ち的に焦ったり、妬みとか嫉妬とかもたくさんあった、そういうどろどろした自分も受け止められたから、今ここにこうやって掛けて、少し余裕を持って考えられる自分もいるんだと実感。
一番大事なこと、今年のキーワードは決断力。
大事な人に厳しいこと言われて、もうめちゃくちゃへこんだ時期があったけれど、そのことを言われなかったら、いまの自分はないのかなと思う。
決断力の弱さが自分を苦しめたことも痛いほど知った。
来年は決断力とそれに繋がる思考力を磨き続けていきたい。
だから、来年のキーワードも『決断力』
もっと自分を大切にして、もっと自分の幸せを考えよう。
前に進んでいけるように。
今年はいろいろな、沢山の人に会えて、つながれて素敵な一年でした。
来年も、新しい出会いと、沢山の人に会えたらいいな。繋がっていけたらいいな。
みなさま良いお年をお過ごしください。
来年もまたどこか出会えるといいなと願ってます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
一年間を少しずつ振り返ろうキャンペーン
気づけば年末。一年の終わりも、もう目の前。
少しずつ、一年間の自分を言語化して振り返ることで整理していきたい。
お風呂で考えたことを殴り書きする。(とりあえず。)
一ヶ月ほど前に、研究部会の講師できてくださった方の言葉が忘れられず、一週間に何度か思い返す。
この方に一年ぶりに会うことで、この方の師匠のことを思い出したのだけれど、今年はこの講師の方、さらにその師匠の師匠の話をしていた。「上田薫」という先生の名前を知り、その方の著書を見たら、カルテの研究をしている先生で、何冊か古書を大人買いした。今、買わないと莫大な値がつけられていた(他の出品者が)ので、きっと希少価値なんだろうと思ってそんな単細胞な考えで何冊か買った。安東小学校のたくさんの授業記録の本も中にはあった。
今年は、築地久子先生の話を聞く機会もあったり、真似事のように児童の実態を記録し続けた。
上田薫先生を知ることで、自分の学びがつながって、シナプス?がピンっときた瞬間が面白くて、好奇心に溢れた。
で、話を戻す。
そんな、講師できてくださった特別支援学校の指導教諭の先生が言っていた台詞が忘れられない。
『この年になっての学びが一番楽しいよ !』
とな!
周りの知人や友人は何名か大学院に行ったり、盛んに遠くまで学んでいる。何もしていない自分にたくさんの劣等感を抱いていたけれど、そんな気持ちが一瞬にして削ぎ落とされた。すごいありがたい言葉だった!(笑)
たしかに、自分は劣等感を抱いていたけれど、自分の関心や学びにまだ迷いがあることもはっきりした。それとともに、キャリアプランというものはつきものだけれども、これからもう少し経験を積んで本当に突き詰めたい焦点を考えていくことは悪くないということだと感じられた。この40代の先生には、何が見えているのだろう。そして、どうしてこの年になってなのだろうなんて、勝手に想像していた。
私自身は、もっと突き詰めた学びがしたいと思っているし、どういう道で学びたいかも大方決まっている。けれど、もっと細かい細部では迷っている。それでも、あの年になっても学びが楽しいと清々しく言い切ってくれたこの先生の一言にすごく勇気をもらった。私も、周りと比べる必要はないし、いつ死ぬかわからないけれど、もっとキャリアを積んでから大学院に行くなり、学びの形を突き詰めてもいいだろうと思っている。
それから、その先生の名言は続く。(私の中に勝手につき去った言葉という意味で。)
『学び、見えていたものが最初は「点」だけど、それが「線」になって、やがて「面」になってくる。それが面白いんだよね。』
って言われた時に、ハッとした。たしかに、この仕事をしてから4年目くらいまでは、点でしかなかった。いまは、ほっっっそい(細い)線にやっとなってきた感じ。
やっと自分の学びが線になったなという感触を感じることが度々ある。これがもっと太い線になったら、もっと面白く見えるんだろうなとか、面にもなるのかなと思うと、まなびって超面白いし、これからもワクワクする。
・・・と、思えるのは、やっとまがいなりにも学びが、点から線に変化している実感があるからだ。
前みたいに、やたらと研修会にも行かなくなった。いまは、自分のスキルアップのためと、資格取得のための単位認定の研修会くらいだ。
今まで行き過ぎた反動は、心の圧迫という感じの副作用を今でも起こしている。その副作用で折れないために、ちょっと出かけてみたり、音楽を聞きに行ったり、写真を取りに行ったりしている。
やっと、自分なりに人間らしく戻ってきたのかもしれない(笑)
少しずつ、時間を掛けて自分を客観的に見れるようになってきた。いままでの私は…何かに急かされ、脅迫されるかのように動き回っていたけれど、きっと本当は無理していた部分もあったはず。副作用はなかなか気持ちと折り合いがつけられないときもあるけれど、この年末という時期を利用して、ゆっくり自分を言葉にして見つめ直そう(と、思う。)
今年一番突き刺さったランキング5位圏内の2つの言葉について、自分なりの理由を並べて、整理してみたのでした。
意味が腑に落ちると続くかも
ついこの前、多分本当の意味でどうして自分が日記という記録をつけ続けたいのか、見つけられた(と、思う。)
三日坊主じゃ意味がないけれど、今日も日記という記録をつけた。すこし続けても見えないけれど、長く続ければ続けるほど面白くなるっていうのは、頭ではわかっている。
続けられるといいな。
学期末は忙しくて疲れる。
けれど、こういう時こそ一点突破。
決めた一つのことくらいは続けたい。
本当に疲れたよ。
季節には季節のことをしよう。
季節を感じることを味わうだけで、生きていると深々と思える。
12月だけど鎌倉に行った。紅葉は、実は今が見頃だった。最高の時期だった。今年は何度か訪れる機会があって、それが自然と好きに変わっていたことも実感できた。
毎日、ソール・ライターの言葉が何処かで思い出されるほど、今年は彼のこの言葉を念頭に置いて生きている。何か特別でも、なにかすごくなくてもいい、自分の目の前のこと、人を大切に出来なくて遠くに手を出すなんて、私にとってはご法度なのだ。
わたしが写真を撮るのは自宅周辺だ。 神秘的なことは馴染み深い場所で起こっていると思っている。世界の裏側まで行くひつようはないんだ。
足元の大切なものに気がつくために - WEDGE
いいことを言っても、いいことをしても、足元が見えていなくてはどうしようもない。自分の大事な人や大事なことを丁寧に考えたり、大切にしていなければ何にもならない。いまは、遠くばかり見すぎた埋め合わせを自分のために費やす時間にしている。
いろいろな人生があるけれども、すごい実践とか、何かに取り憑かれたようにセミナーに行ったり、毎週出かけたり、駆り立てられたように本にかじりつかなくてもいい。
季節らしいことをして、季節を感じて今何が大切化をじっくり自分と対話したい。鎌倉の紅葉狩りは、心の癒やしの時間になった。あそこは自分の心を緩めてくれる。中学生の時から、ずっと好きな場所。
二学期もあと僅か。少しだけ頑張ったら、自分にご褒美だ。
本に元気をもらう
掛けない日々が溜まって、もう書かなくてもいいかなと思ったブログを再開しようと思ったのは、本に出会ったからだ。
先日、研究授業で来られた特別支援学校の閉じう教諭の話を聞いてその師匠の師匠という人を検索してみた。
幾つか著書が出されていて、もう自分の生まれた頃の本とか少し古い本なのだが、これがまた、大ヒット。
先週は、経験豊富なお三方の話を聴いた。
特に、自分の授業のことを相談すると、足元を見ないで授業を考えていたことに気が付き、自分の情けなさに打ち砕かれた。
本当の意味で実態を軽視し、見ていなかった自分。
昨日から読み始めた本、『教師も親もまず我が足元を見よ』(上田薫)には、"個のペースを無視して要求を突きつけることの出来る人間には人間尊重の精神が欠けている。"と書かれていた。
まさに、自分がかけている部分を突き刺された一文だった。
この本には、次から次へと、いま自分が必要な言葉が突き刺すようにかかれている。本がまた面白く感じられるようになってきた。
元気が無い時に出会えたこの本は、運命の出会いなのかもしれない。
また、少し書くこと、ムリしないでやってみようと思う、ほそぼそと。