有名や一流でなくても。
今週からすこしずつ、社会復帰のリハビリ(笑)
今週は市内の特別支援に関わる悉皆研修の講師をした。一番学んだのは、私だったと思う。
終わってから、膨大な資料に驚かれたのだけど用意するってことは全部に目を通したり、間違ったことを言えないという責任からそれだけ端々に目を通し、内容の把握が必要になる。
私は前で話すときにどうも、こんなこと話してもみんな知っているだろう。と思って投げやりな感覚になる癖がある。今回も終わってから、うちの学校の先生たちは特別支援学級の意識も高いのでこの話は…というようなことを言ったら、改めて言ってもらうことが大事だと話してくれた先生がいた。
リフレクションの時間も30分くらい取って、ファシリテーションを入れた。
会場の先生たちの声量が上がっていった。
個人的に受けた質問は、私が学ばなくては行けない課題だと痛感する。
勉強会に行けなくても、現場の先生は真剣に課題を捉えて愚直に考えている。一流でも有名でなくても、こうやって現場で課題と真剣に向き合って職場の人達同士で課題を考えていく、同じ方向の確認をする、同僚同士でじっくり真剣に話していく…こういうことが一番すごいことなんだと思った。
うまく言えないけどその空気の中にいられたことが一番、今の自分の感覚に訴える大事なことだったことだと思う。
学び続けなければいけないな、と強く痛感させてもらえた時間だった。
ということで、今週末は二日間、国際展示場まで。
でもちょっと疲れて連日帰ると気絶。お腹も壊してる。
2学期も少しずつ、少しずつすすんでいきたいな。あせらない。
少しずつ少しずつ
昨日から少しずつ仕事に体を慣らす。
昨日は、今日の特支の講師の資料とスライドを作った。
70枚もあると言ったけれど、それは時間が足りなくなった時の安心材料であって別に枚数が終わるとか終わらないとかあまり関係ないと思っている。誰かの真似して台本を作ろうとしたが、台本を作ったところで今度は台本通りに喋れないとパニックになるのでやめた。
ある人から見れば準備が不十分なんて言われそうだが、一番は自分が安心して問題なく終えられることである。
資料もスライドではなくてワードで別のものを作った。この資料を配布した瞬間自分の講座なんて終わったと思っていいんだけど、それじゃあダメか…。
そもそも人前で話すことは好きではない。子どもの時から好きではない。発表とか大嫌いだ。じゃあなんでこの仕事してるんだろうか。
大人相手に話すと裏を考えてしまったり、損得で関わることが多いから嫌なのかもしれない。ダークな部分が出て来て話がずれたからこの話はおしまい。
結局、今日も朝から資料を見ていたけれど、やっぱり削ってスライドは情報を減らそうと思った朝だった。
今日からリハビリ
今日から生活を戻そうと思う。
早起きをした。
昨日は上條晴夫先生と、声を掛け賛同してくれた仲間数名でファミレスで何時間も話した。学ぶ意力がなかったわけではないが、少し元気がなく停滞気味の私自身が揺さぶられるいい時間だった。
場やチャンス、機会があればたくさん挑戦したい。
ただ待っているだけでは始まらない。与えられるものだけでは自分がダメになる。
最近考えていることだ。
リフレクションに関わるヒントをいただき、その場にいる仲間と場作りすることになった。授業のリフレクションを自分の持っている強みという武器で実験する。
やってみたいと強く感じた。
帰りの電車での田中光夫先生との話もすごく面白かった。
自分で動く、二学期はここに意識を置きたい。
友達と会う
昨日は会ってじっくり話したかった友人と大阪で語る。
女性ならではの話とか若さゆえの悩みとかたくさん共有して熱く語った。
歳の近い、同性でこんなに学校のこと教育のことを熱く語ったのは初めてかも。
お店をはしごしても足りなくて、結局最後は友達宅でも語る。結局、深夜まで延々と話してた(笑)
お邪魔すると、もともと泊まらせてもらう予定だったのだけど、素敵なウェルカムボードがすごくうれしかった。
私がハムスターを飼っているのを知ってて描いてくれた。ほんとうれしい。
今日もみんなで学びへ。
こうやって地方に友達がいると、ところは違っても悩みはあり、そして私も話すことで返ってくる答えでたくさん考えて、共有し、共感してもらえてまた少しがんばろうと思える。
ここ数日同じことばかり話しているけど、つながりって大事。
こういう繋がりを大事にしていきたいな。
感謝感謝、です!
同世代と関わる大切さ
昨日は誘ってもらって研修会で出会った同世代と5人で飲んだ。
きっかけは二年前だったのだけれども、その一人から、去年私が主催したイベントで繋がれたおかげが大きいと言ってもらえた。
昨日の話とも関連するけれども、こうやって繋がっていたことが少しずつ仲が深まってその結びつきが強くなっていることがうれしかった。
昨日は教育の話、地域の話、プライベートのこと、セミナーや勉強会で考えていることなど。
世代の近い私たちのリアルが聴けて、話せてすごく刺激を受けた。
これからも、こうやって地域は違えど、歳の近い、そして教育のことでも話して私たちの年代なりに考えていることが共有できたのなら幸せだなと感じた日だった。
これからもよろしくお願いします。
わたしが私であるために
昨日は医療保育士の方のお宅にお邪魔した。
どこか引かれ合うところがあって、会いたいと思った時はお互い潰れていたり、凹んでいたりすることが多い。苦笑
会って話を聴いてもらってハグして元気をもらう。これがいつもの流れ。
話すととてもあったかい気持ちになれて、また少し歩んでみようかなという気持ちになれる。
昨日は、他に誘いたい人がいたら連れてきてということで、医療保育士の方にどうしても会わせたい友人も連れて行った。人と人をつなぐというのは、自慢ではないのだけれど、何年も前からこの部分に関してはハズレがなくて少し自信がある。昨日もいい出会いだったと思う。
どうして2人は出会ったのとか、どういう仲なのとか医療保育士の方がずんずんと聴いてくるんだけど、友人の彼女は私のことを迷いなくあっさり答える。
恋人みたいでなんか恥ずかしい。笑
それでも、彼女が私のことを迷いなく答えられることと、私のことを「こういう人」って決めつけないことが信頼できる理由なのだとわかった。
私は自分のことがあまり良くわかっていない。周りから、こうだよ、と言われることで自分を作ってきたのかもしれない。
けれども、私のことを「こうだよ」と決めつけない彼女の考えがなんだかとても気持ちよかった。そうじゃなくて、自分はこう…っていうのは、周りから言われて気付いたり、そうなんだって思うより、自分で決めていくことが大事なのだと、彼女からなんだかまた新しく教わった気がする。
決めつけられるのが本当は嫌いなのに、決めつけられることに甘んじていたってなんだか変な話だけど。
「この人こういう人だから」っていう色メガネで見ない彼女がいるから、私は支えられているんだろうなと思った。
なんていう、今日は自分に語りかけたような書き込み。
対話を大切にしたいわたしがどうして対話を大切にしたいのか、ということを改めて考えさせられたんじゃないかと思う。
わたしについてはわからないからこそ難しくなってしまうことは、まだたくさんある。
でも、時に厳しく律してくれたり、時に一緒に楽しんでくれる彼女の存在がこの一ヶ月どれだけありがたかったことかっていうのがわかった昨日だったというボヤキでした。
夏らしいことをしよう
昨日は同僚の先生と飲んだ。
元々一緒に行くはずだった講義に出られなくなって、飲むことに。笑
普段できない話や、プライベートのことなど話に花が咲いた。
去年がわりと厳しくて、そういうお互いがつらかった時期にいろいろなことを聞いてもらったので、割と何でも話せる関係になった。
私自身は本当に人と関わる時に、自分でもなぜこんなにも…と思うほど警戒心が強かったり、疑ってしまったりすることが多い。
そういう中でも、割と何でも話せる関係を気付けるってありがたいことなのだ。
人と関わるって大事。話をすることで自分の思考が整理されるタイプの私は、話すことがやっぱり大事。
それにしても、先週も今週もビアマウントに行っているって私どれだけビアマウント好きなんだろう。笑
そして、ずっと飲み続けている。
言い訳は、夏休みだからま、いっか。
今日も誘われてふらふら…である。
足元の大切なものに気がつくために
法事や帰省の予定が終わると、殆どなにもない。
なにもないというのは語弊があるが、自分の縛られている用事がなくなる。これからは、自分がやりたい用事だけになる。
この夏は全部はできなかったけれど、会いたいと思う人、場所に訪れようと思う。
勉強会で出会った友達、会いたい先生、尊敬している同僚の先生と飲み会、初任研のときの部屋割りが同じだった同期との再会、授業記録の学習会の計画、趣味の寺社仏閣巡り・・・などなど。遠くのものに手をのばすのではなく、なんだか近くのものをしっかり噛みしめる感じ。
そうして、予定を立てていると不思議と、声がかかる。セミナーで出会った友だちが会いたいと言ってくれることとか。こういうの、素直に嬉しい。
『愚直』という言葉は知っていたが、きっと知ったつもりだった。
忙しさや、キラキラしたものに飛びつき、流されたまま、この言葉を字面で知ったつもりになり、使ったつもりになっていた。
今、少しずつ本当の意味でこの言葉をわかっているような気がしている。
もともと、自分自身のメモリが少ないのでそんなに覚えていられない。
けれども、誰かの言った自分の中に刻みたい言葉は拙いながら大事にしまっていて、必要に応じてその誰かの言葉を自分に言い聞かせている。
以前観に行った写真家ソール・ライターの写真展で彼の遺した言葉も私の感情を揺さぶるものがあって大事にしまっている。彼の言葉はなんだか悟りをひらいた人みたいだ。
わたしが写真を撮るのは自宅周辺だ。
神秘的なことは馴染み深い場所で起こっていると思っている。世界の裏側まで行くひつようはないんだ。
私の大事にしたい言葉のひとつだ。
大事なことは本当は、自分の足元にたくさん転がっているのに気が付かないでいる。そう言われている気がする。
私はどれだけの足元にある大事なことに気が付かずこのまま来てしまったのだろう。
気がついて、すくい拾えるのなら、今。
今は見ないふりし、気が付かないふりをしてきた足元の大事なことを一つ一つ大事に拾っていきたい。
切実にそう思う。
行動から状態を読み取る
7月も最終日になった。
自分のブログを眺めてふと思ったのは、6,7月の記事の少なさだった。
体調的にも、精神的にもあまり良好でなかったことが伺える。
私は自分自身のことは悪くなってから気がつくことが多くて、この歳まであまり予防的な視野は持てなかったと感じている。
食べることに関しても、食がこれだけ大事だと気がついたのもここ2年くらいの話。
こうやってブログの数を見て自分の状態を考えることもここ最近の話。
自分の健康管理は自分でしなくちゃいけないのだが、手遅れになってから気がつくことが多い。要約すると失敗しないと学べない。と言った感じになる。失敗する前にサインが気がつけたらいいのだけれど、いろいろな事象とか感情があったりすると、それさえも気が付かない。
最近のブログの書きぶりを見ると、少し自分に余裕が出てきた感じが伺える。今日も、コーヒーを入れて朝の時間をゆっくり過ごせるくらいになってきている。
ここ最近、朝を大事にしてみるとわかったことはやはり自分にとって、朝の時間は必要なのだろうということ。読書したり、書き物したり。少し余裕の時間を持ってから一日を過ごす、これ私にとってはすごく大事なことなのだと思う。
朝の時間の有効活用、また少しずつ始めていこうと思う。
夏はまだ始まったばかりなのだけれど、内省をしつつ過ぎ去る時間の過ごし方も考え直したい7月の最後の日。