あの場所からずっと動けないでいたけれど
自ら動く人の周りには、情報も人も自ずと集まってくるような気がする。
最近、思い当たるエピソードが幾つかあるのだが、その一番ベースは過去の自分が見えているということなのかもしれない。
実習の時は、聞かないと動かないような指導教官だった。私と5歳くらいしか離れていなくて、いまの私くらいの経験年数だったと思う。3年前くらいの運動会の係仕事で一緒になった先生からも『あなたがメインでやって。俺は聞かれないと何も答えないし動かないけど』と宣言され、あのときの自分はとても苦しい思いをした。
いま、驚いたことがあるがこのように少し整理して自分で書くことで、この先述した2人が私と接触したときの経験年数が同じだ・・・・笑
どちらも、だいたい5、6年目のときの先生のときだ。いま気がついた。笑
当たり前なのだが、あのときの自分からすると、『先生なのに、経験値も自分より多い人がどうして動いてくれないんだ。』という思いを少なからず抱いていた。
でも確かにいま、自分自身がこの(少しだけ)不快を抱いた人たちと同じ年数に立ったてる。
どうだうろうか。
同じなのである。やっぱり聞かれた分には答えるけれども、聞かれないならその人はもういいのかなと思うことが増えているし自分からやってあげると動くことはほぼない。
必要な情報には自分でアクセスし、動く力が必要だ。ゴールに行き着かなくても、動けばそのゴールまでの方法を見つけ、方法を見つけることでゴールの鍵を握っている誰かに会え、誰かから情報を得られてゴールに行き着けることもある。
自分を動かすことで、自分が作り上げられていく。
あの時の私には、聞く、困ったことを伝えることができなかった。
いま、それらが完全にできるようになったわけではない。でも、聞く、ヘルプを発信するスキルを毎日必要だといわれている学級で仕事をするようになり、この子達から教わったことがたくさんある。私は随分できるようになってきた。聞いたほうが早いし自分にお得なことが多い。絶対人と関わったほうがいいのだ。
特別支援に関わることで自分が変わった。といえるのだと思う。
それで、今日もまとまりのない文をつらつらと書き殴りそうなので…いや、既に書いているか。
そんな過去の『何も教えてくれない』と文句を垂れていた自分を見返す。
確かに聞けないと、自分から動けないと誰も動いてはくれないし、大人なのだから自分で聞けるのが当然と思われることが多い。それでも大人でも出来ない人がいる。
うーん、まとまらない。
けれど、たぶん、個々にもレベルがあって。
もちろん聞く、ヘルプを出す、聞く・・・をするのは自分、あなたなのだ。
自分にできることは、聞きにくい環境にはしない、聞かれたらいつでも答えるのだからというスタンスが伝わるような雰囲気環境づくりは必要だと思う。
迷走したからこの辺で。
余談だけれども、どんなに気持ちや体の状態が良くなくても、食べる、寝るを守ることは大切。ご飯が美味しいと思えることは幸せなことなんだなとひしひしと思った。
今週もまだ長い。倒れずに行きたい。