WEDGE

書いて頭の中を整理する、自己満足のたのしいブログ。

授業をみる

 日の出がずいぶん早くなった。少し前までは、この時間も電気生活だったけれども、朝日が嬉しいのでカーテンを開けて今日から過ごしてみる。

 

 初任の先生の研究授業の期日が迫っている。先週から月曜日は、その先生の前段階の授業をしている。

 授業というのは観ていて思うけれども、つくづくその見ている人自身の器、技量がないと見えるものも限られてしまう。どういう視点で見るか…と、常に考え続け、あとでアドバイスするためにとか、記録するためにとかそういう授業後に「何かする」ということがない限り、いつもぼんやり、なんとなく見てしまうし、現場の先生は忙しいけれども、定期的にこの「観る」ということをしないと、授業をみる視点、思考は研ぎ澄まされないなあ…と昨日は自分が体験した。

 ただ、授業と同じで、たくさんの指示、たくさんのポイントで見ようとして欲張りすぎると、自分の場合は結局手付かずになる。3つくらいポイントを決めて、それでも、他に気になったことを気がついたことがあればラッキーだなくらいだ。そういうことを考えて今日も授業を見てみようと思う。

 現場は毎日が学びで、研修だ。本当にそう思う。

 

 話は変わって、昨日からまたある目的で、毎週個人通信を出すことを決めた。

 向かいにいる初任の先生は私は直接指導する役割ではないのだけれど、隣りにいる初任の先生にあげたのを見逃さず、自分も欲しいと話してくれた。(大したこと書いてないんだけど。苦笑)

 アンテナが高い人の周りにはきっと、それだけれ情報や知識が蓄積されていくのだろうなと思った。アンテナを高くすることは大切だし、自分から動かないと情報も気付きも得られないんだろうなと思った。

 ただ、その集めた情報をどのように料理したり、整理したりするのもその人の力量次第なんだろうな。

    でもやっぱり、若いうちは良し悪しはわからないから、がむしゃらにたくさんの情報を仕入れ、がむしゃらに人とつながるといいなと思う。

 現場は学びだらけだ。今日もその学びにを拾えるようにしたいなあ。

 

 昨日は暑すぎてまだ火曜日なのに、流石にちょっと疲れている・・・。

 

場作りを考える

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 昨日は、日本ファシリテーション協会東京支部の例会に参加した。

 私がいま、やりたい、学びたいと思っていることの柱が3本ほどある。そのひとつがファシリテーションだ。

 昨日の課題は難しく、色々なグループで、まず課題の確認が始まっていた。笑

 参加者として行ったけれども、研究会を作る、課題をどうするかという難しさも考えてしまった。

 

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 『場作り』と言うのは、会議や関係性において一番ベースになるものだと思う。その『場作り』をどのように作っていくのかが興味があった。昨日は20人ほどの少人数での開催だったため、研修会のサイズもちょうどよく、話し合いも5人ほどのグループで充実した話し合いができた。

 異業種と関わると様々な視点、切り口からの話が聞ける。昨日は、大学の先生や企業、営業の方とたまたまグループがおなじになり、ひとつのワークをこなしていった。

 枠を決めて話し合うことで、思考が整理され、次に何について、どのように話していけばいいのか思考がクリアになる。

 話し合いのなかで大切なことを幾つか学んだ。

 ファシリテーションは、理論や技術も必要だけれども、経験しないと磨かれない。

 もっとファシリテーションを経験して、自己研鑽できるようにしたいなと、また昨日強く思った。

 

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本は人に会える時間

 私には、毎日のように思い出しずっと引っかかっていたエピソードがあった。

 先日、とある人達とすごく久しぶりに再開した時があった。久しぶりなので、それぞれが何をしているか話すことになった。私も特に隠すことなく特別支援に関わって仕事をしていること、どういう子たちと関わっているかを簡単に話した。私の次に話した人が、しみじみと「自分の子どもが発達障害などもって生まれなくてよかった」といった。このことがずうっと脳裏に張り付いて仕方がなかった。なんとなく、自分の気持ちがあるのだけれど、それを言語化してはいけない、そういう思いだった。

 昨日の移動中に、同僚の大先輩が貸してくれた、『福祉の思想(糸賀一雄)』をずうっと読んでいた。そこに書かれていた言葉が、私のそのもやもやした気持ちを払拭してくれた。

「この子たちにこんなものができるとは夢にも思わなかった」

と感嘆する人もある。そして同時に、

「うちの子はこんな子に生まれないで、それだけでも感謝しなければならない」

と心のなかでつぶやいているのである。この感嘆とつぶやきは、じつは、同じ根からうまれたものである。どんなにかくしても、そこには精神薄弱児に対する軽蔑の気持ちがひそんでいることは否定出来ないのであろう。

 ああ、自分のもやもやしていた気持ちって、これのことだったのかは、はっきりした気がした。「軽蔑」と頭でわかっていても、言い切れなかったし、本当はそう思っていないと願っていたのだと思う。

 こんな昔の本にかかれていても、いまでも同じ事がある。今週も、「特別支援に通っているから・・・」と言われ軽蔑されて泣いていて子を見て、引き裂かれそうな思いになった、すごく辛かった。特別支援やインクルーシブと言われる言葉が増えてきている中でも、まだまだそういう事実があることを知識でなく、実際に感じた。特別支援の仕事は楽そう、と思われているのも軽蔑なかも知れない。

 糸賀先生にはもう会えないけれど、糸賀先生の本を読んだことで、背中を押してもらえたような気持ちになった。それは『この子らを世の光に』を読んだ時に確実に感じた。本は、会えない人に会わせてくれる時間を提供してくれる。

 糸賀先生や片倉先生の本を読んで、そしてそういう「軽蔑」がまだ残る中で、自分のできることは何なのかということをずっと考えている。

 

 

 話はそれるけれども、築地先生のビデオを見た。以前、鈴木恵子先生の講座でも見たことがあったけれども、子どもが生き生きしているのである。

 すごいと言われる先生は確実に何処かで個の対応の手を打っている。個の対応を担任がどの位、どういう時に、どのようにされているのかに気づくのは、参観者の見る器、技量でしか受け取れない。そして、1時間の授業のなかで個の対応は一つだけではなく緻密に多岐にわたって、されている。

 築地先生のビデオを見て、杉渕先生の学級を直接見に行ったときの感覚と繋がった。

 

 

 今日も少しだけ学びに出かけよう。

 

 

福祉の思想 (NHKブックス)

福祉の思想 (NHKブックス)

 

 

 

それでも明日はやってくる。

 長い長い一週間だった。

 悩み続けた一週間だった。でも、また来週も悩むんだと思う。

 

 本当にその通りだと思う。授業にも、人間づきあいにも、人生にも完成形はない。

 肯定し続け、そしてあるときは自分の行いを批判的に見ることでしか自分という存在は続けられないのではないかと思う。それは、時に「できた」という達成感や成功体験は必要だけれども、それらばかりが続くとも限らない。

 

 けれども、そういう悩みや言語化が自分の中でうまく出来ないもやもやを口に出し、聞いてもらい、共有することで気持ちが軽くなったり、次に進む糸口が見えたりすることがある。今週は、沢山の人が私の話を聞いてくれて、沢山の人が考え・思いを共有してくれて、沢山の人が私の悩みを言語化したり、つぶやいてくれたりした一週間だった。そして、そういう体験を子どもにも伝えられた一週間だった。

 昨日は、疲れて気がついたら床に倒れていた。見ていた金曜ロードショーもいつの間にか終わっていた・・・笑

 仕事がつまり、うまく回らず疲れた一週間だったけれども、私は楽しく過ごせたと思う。そうやって少しずつ積み重ねていく。

 

 また来週。

 

 

すごくどうでもいい話だけれども、「自己の肯定」をキーワードにしたら、ニーチェにぶつかった。だから、今はすごくニーチェが読みたい気分。

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

 

 

 

 

のみのば

 昨日は、いつからだろう…去年くらいから「飲み会集団・飲みの場」という名前(パロディーにしているのにあまり気づかれていない…)で、懇意にいていただいている国語の先生とフリーランスの先生と3人で飲んだ。今年から、意識的に例会を開こうと割りと熱心に声掛けをしている。今年度は2回目。国語の先生は今週末が体育祭なのにもかかわらず来てくださった。ありがたい。

 前回もだったけれど、昨日の話が面白かった。書けないことばかりだけれども、このお2人の関心のポイントが、私の好奇心をくすぐる部分でクリティカルヒット、である。笑

 そしてまた、このお2人が教育界ばかりのつながりだけでなく、様々な分野の方とのつながり、関心があるので話がすごく面白い。

 私も、思い切っていま、もやもやしていることを相談させてもらった。そういうことを聞いてもらって、ああじゃない、こうじゃないと言い合える場所が学校外にもある私は贅沢だなぁと思う。それで、それに関わる悩みもセミナーにしてもらえることになった。笑

 基本的に3人の予定で動いているけれど、今年度は必ず毎月集まっているので、(というか割りと周知されているようなのでなぜか)来たい来たいと言っている方に、声かけてゲスト参加していただこうかなと思いつつ、次回を楽しみに過ごす。

 

 体の疲労はひどいのですが、エネルギーチャージできた!

 

人生は一点突破

 昨日は久しぶりに遅くまで仕事をした。初任の人が何となく遅くまで一緒に残っていて、一緒に帰った。お喋りをする時間がたくさんできて、昨日の朝に書いた悩みが少し解決した。一時で終わるような悩みではないけれど、これからもおしゃべりしていこうと思う。

 

 昨日は感情の動く日だった。憤りとか悲しさとか、そう云うものを強く感じた。流石にここには書かないけれども。

 自分のしている仕事とはそういうことなのだろうと思う。目の前にある課題、仕事を愚直にしていくしかない。課題の多い子達でも幸せに教室で過ごせることを真剣に考えたいと切り裂けるような思いが突き刺さった日だった。

 

 先日、父と話していて『徒然草』の話題になった。父のすごく昔のエピソードを聞いて、読みたくなり、購入した。勉強嫌いだった私は、古典も真面目に受けなかったけれどもこれなら読みやすい。

 

『人生は一点突破』

 若い間は、あらゆる分野に関して一人前になり、その道で大成し、また芸能も習得し学問もしようなどと、将来にわたる遠大な計画を心に抱いているものだ。

 ところが、その一方で自分の人生は先が長いと、のんきに考え、なすべきことを怠り、目の前の雑事ばかりとらわれて月日を送ってしまう。だから、何一つ達成できないまま年老いてしまう。結局、なんの専門家にもなれず計画通りに出世も出来ず、後悔しても年齢は取り返せないから、走って坂を急降下する車輪のようにみるみる老衰していくのだ。

 こんなわけで、一生の間に、大事な人生目標のうちで、それらの重要性をよく比較・検討し第一の目標を決定したら、それ以外の目標は破棄して、ただ一時だけに専念しなければならない。一日の間にも、一時の間にも、やるそれに全身全霊をささげ、それ以外は全て切り捨てて何よりもこの大事を急がなくてはならない。

 どれもこれも捨てがたいと、執着するならば、間違いなく一時も達成できなくなるのだ。

 

 人生は一点突破ーーある者、子を法師に(第百八十八段)

徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 

 

 

 少しずつ、地盤を固めていく。自分に大事なものを自分で選び取って決めていく。仕事もプライベートも。大事なものは側にあって、遠くに行かなくてもその大事なものが何かは足元を見れば見つかるはずだ。

 先日iPhoneからFacebookTwitterのアプリを消した。いろいろなことが快適に回る。自分がどれだけ遠くのもの、様々なことに手を付けたがり、欲が出ていたのか分かる。そして、様々な情報に縛られていたのも分かる。情報過多の時代に、果たしてこのたくさんの情報を受け取ることは必要なのだろうか。本当に自分に必要な情報は、ごく僅かなものなのではないだろうか。

 いろいろな情報を真面目に受け取ると、本当に大事な情報、事柄、自分が本当に突き詰めていきたいことさえも見失い、あれもこれも手を付けたくなる。まさに、徒然草の内容だ。

 もちろん、SNSで大事なつながりもある。切ったわけでもない。これからも仕事を一緒にしたい人はたくさんいる。けれども、いまは情報に縛られすぎてそのたくさんの情報を真面目に受け取り息苦しさを感じていたのは間違いない。少し大人しく、じっくり足元を見つめて過ごす時間を歩んでみようと思っている。そして、一点突破を目指してみたい。

 

 

 

 

初任者に何ができるのか考える日々。

 自分のキャリアを3年や4年で一区切りとする人がいるように、私自身のキャリアは5年で一区切りとした。というか、今年の年度末は本当にそうしか思えないようなことがたくさん起きた。それはほとんど、5年で一区切りと考えなさいとまるで啓示されているような出来事ばかり起きた。割愛するけれど、それは悪い出来事、というわけではなかった。

 それで、そう思った矢先に今年は「初任者指導ね」なんて言われてスタートした。まさに、一区切りだったと思う、今年はまた新しいスタートだ、私にとって。

 私は実は、「指導」という言葉が大の苦手である。「指導」なんて言葉を使って取り組んだ日には、上から目線の姿勢がもうありありと出てしまいそうで恐ろしくなる。それで、今日まで初任者に何が出来たかというと何も出来ていない気がするし、では、何をしてあげたらいいのだろうと思えば、うまく言語化も出来ず、まとめることも出来ずに来てしまった。忙殺の日々が続き、向き合うことも出来ないといえばいいわけなので、あえて今日のテーマにして、振り返ってみる。

 

 ただ、ひとりで初任者になんとかしようとかは毛頭思っていない。周りには私よりもっと先輩がいる。というか、初任者を抜いたら私が一番若い(ここ強調、笑)ので、皆さんに聞くことも多い。

 それでも、一週間の振り返りを手帳に書き続けているが、初任への自分の課題が多く残る。

 それで、今考えていることは、『自分が初任の時に何をしてもらいたかった?』という問いを考えたというか、いまはそれしか頭にない。あれもこれもしようとすると、ついつい口が多くなる。しなやかに・・・渡し、伝えられることは自分があの時、してもらいたかったことだと思う。とても悔しい一年を過ごした。何をとっても、辛い時はあの時以上のことはないと立ち戻る。半分そこに縛られている自分がいる気がするけれども、あの一年を考えないで未来の自分はないと思うくらい、いまでも生々しく自分の中に居座っている。

 「あの頃してもらいたかったこと」とは六年目の自分から見て、これはやっぱりしてほしかったよね、と思うことを即日耐え、即時語り合えることだと思う。「即時」なんてこの多忙な現場ではなかなか難しいことだけれども、やっぱり即時がいいなと思う。

 

 まあでも、あまり焦らずゆるゆると、でも、自分の経験でやってきたものしか自分からは出てこないので、いいものを見せようとか云うよりも、事実を渡していけたらいいと思う。

 

 ということで、書くことで整理される自分の姿がこの時間でよくわかった。笑

 そして、自分がいま、初任者に何ができるのか、ということも自分なりに見えてきたのでオヒラキとする。

 

 

函館の知的障害者施設のこと。

昨日は、『この子らを世の光に』のことを書いた。面白くて毎日、とにかく時間を捻出して読んでいる。

 どんどん読み進められる本だ。ちょうど母が生まれた頃の昭和の年号がいつも出てくるから、母の時代は・・・なんて思って読んでいる。(勝手に)

 

 本もそろそろ終盤に差し掛かった。今日は読んでいて北海道の函館に重度障害者の施設を作ろうと、糸賀先生が決意したあたりだった。ふと、脳裏によぎった話があった。

 母の従兄弟も、実は、重度の自閉症をもっていて函館の長い歴史ある有名な施設で生活している話を昔聞いた。その時は、あまり意識していなかった。そういう親戚がいるんだ程度だった。

 割りと頻繁に一応生存報告だけはするので、今日も先ほど電話をした時に母にその話題を振ってみた。すると、母の叔母の両親も自分の子どもが知的障害をもっていてその子のために函館にずっと昔に施設を作ったという話が出てきた。どうもこの本には、昨日から、偶然の連続を味わわされている・・・

 滋賀の石山に、この本のことを知らずに先月訪ねていたこと、函館の施設のこと。

 施設のことは、これ以上は祖母に聞かないとわからないらしい。機会があったらまた聞いてみようと思う。

 

 母方は近いので函館に由縁があるのは何となく分かる。

 そういえば、父方も函館に由縁があって、函館で薬種問屋なんかをしていた。

 繋がるものは繋がるのだなと思った。おもしろい。

 

函館の施設のことを調べたら「この子らを世の光に」という碑があることを知った。ぜひ、訪ねてみたい、函館に。

 

 

プロフェッショナル。

 昨日は、プロフェッショナルの放送日だったけれど、私は見たくて録画ておいた田中将大選手の回を観た。

 

『氣持ち』

 マー君は毎シーズン、グローブに文字を刻むことをお願いする。デビューの時からからわない言葉だそうだ。自分を貫くとは、こういうことなのだろうか。自分のコントロールが一番難しい。自分のことだからわかっているようで、実はわかっていない。人間は一番自分のことが難しい。私にとって刻む言葉はなんだろうか。

 

 

自分の味方であれ

 自分のことをよくわかっている人は強い、そう感じた。

 どれだけ自分のことを理解して、仕事はじめ日々の生活が遅れるかなのかなと思う。

 

「自分が自分の味方でいてあげないと、誰も味方じゃないですか。結局やるのは自分だし自分が今までやってきたことを信じてあげないと」

 

 自分のことを卑下しないでもう少し、支えてあげないといけないと思う。 今の自分が一番できていないことだ。そして、すごいという人は自分の弱点も、知識でははなく、本質的に捉えていると思う。

 

 野球は投げるのが基本で、投げないと始まらない。そういう基本を積み重ねてやっていくしかない。

 そういうような話もしていた。やっぱり積み重ねなのだ。

 いきなりすごいことができるわけでも、すごくなれるわけでもない。

 コツコツと積み重ねていく人には勝てない。

 そしてそういう積み重ねがその人を作り上げていくのだ。

 

 観ていて元気をもらった。

 今日も少しずつだけれども、今日という日を積み重ねて過ごそう。

 

 

運命と感じてしまうなあ。

 糸賀一雄『この子らを世の光に』を読んでいる。

 今日も通勤中の電車内で読んでいた。

 

 

半分くらいは読んだ。

近江学園は、第一部と第二部で当時構成されていた。

伊勢に修学旅行に行く話が載っていた。石山駅から精神薄弱の子たちも連れて行くというエピソードだった。

この「石山駅」の名称が出てきた時に、この文節を二度見した。

石山駅は先月京都の研修会に参加した時に使った安宿の最寄り駅だった。

たまたま使っていた駅の名前をこうして一ヶ月後に読んだ本でまた拝見した。

刻々と、あのあたりの情景が思い出される。

琵琶湖畔、近江、石山駅

こんなタイムリーなことがあるのだろうか。

読んでいていま、とてもワクワクしている。

もう少し勉強したら、また近江に、石山駅に行こう。

そう思った。

 

今夜もまた読もう。