WEDGE

書いて頭の中を整理する、自己満足のたのしいブログ。

ひとりには限界がある。

昨日は去年から連続してお世話になっている、視覚支援の専門家の方に校内研修で来ていただいた。

民間研修で知り、来ていただきたいと思い去年叶い、今年も来ていただくことができた。

私としては焦燥しきり眼の前のことで手一杯だったこの時期に、もっとやらなくちゃいけないことも、もっと大切なことがあるということも改めて考える時間になり心の余裕を作ってもらえた。

学級の中に眠っているお宝、普段使っていたけれどそういう意味付けで・切り口でもっと使えること。

同じものでも、知っているかで相当価値が変わるということ。

困難さの根幹にたどり着くまで大人がちゃんとした知識で子どもに寄り添った挙げられるたくさんの視点と柔軟性。

 

「そういう辛さ、原因で躓いているのか」と自分含め気づいてもらえただろうか。

 

学ぶ熱意と行動力さえあればたくさん知識も詰め込めるし、勉強することはできる。

でも、そこには限界がある。

人と関わるってこういう良さがあるし、大切なことがあるなんてぼんやり考える時間でもあった。

ありがとうございました。

 

支援の伴奏者として

 担当している児童に瞬時に何ができるかという判断と切り替えが、一週間に一度しか無い通級では肝になる時がある。

 担当している児童のそれぞれの個別の時間に学習する予定を、個人的に学期ごとに一覧にして出す。こちらが必要だと感じて入れて段階的に入れる予定もあれば、私自身気がつかない子ども自身の「今やっておきたいこと」があるかもしれないので、個別の時間の計画は 2つくらい組んでおいて、もう1つは相談する。そうして、個別の学習の時間は 3つぐらいの活動ができるようにしておく。しかし、そうならないときもある。

 例えば、今日は担当の児童が学習中にリーダーの教師の 3-5チャンクの手拍子は理解できてもそれ以上数が増えるとついていけなくなる。といったことが起きて、今日は「あれ」と思ったので急遽個別の時間は数の復唱、逆唱に変えた。7チャンクまで行くと混乱するようで、意図的に4と3の間で拍を取るとすんなり言える。どんなパターンに弱いのかお互いに把握しておく。そうして、どこに弱いのか、どうしたらできるのか特性を伝える。

 予定していたことを計画通り段階的にやることも大事だけれども、気づいた時、今やったほうがいいのか、もう少しこちらが工夫してやるのか、時間を開けてやるのかそういう判断はこちらが決めることも多いけれども、最近は相談してすすめることもよくある。

 縁あって担当することになったのだけれど、支援の伴奏者として何をいつできるかをいつも考えている。

「気持ちを高め続けられるものを置くこと。」

この言葉は、日曜日に話を聞いた今度大学生になる古賀さんの言葉だ。

このことを日曜日からずっと考え続けている。

 

古賀さんは、オランダやイエナプランに対する熱意を絶やさないために高め続けておくために、オランダのキャラクターであるミッフィーのシールをパソコンに貼ったり、ミッフィーを自分の側においていると話していた。

 

自分も続けていることや、やりたいこと熱意として持ち続けていることはある。

側に何をおいて熱意を持ち続けたらいいんだろうとずっとずっと考えていた。

そこで、まずは心を動かされた古賀さんとFacebookでつながってもらった。

彼女の活動を見るとあの時、心が動かされた、情熱を持ち続ける大切さを忘れずにいられるだろうと思っている。

そして、古賀さんが話されていた発信し続けることで広がり、自分の意志や思いを少しずつでも広げられることの意味を深く考えた。

発信するには、枠を飛び出さなければいけない。狭いところでぐるぐるしていても進めない。

匿名性ではあるが、外に出すことにウエイトを置いて、Twitterも全体公開にした。

誰に投げかけるわけではないが、私の意思や思いが誰かに引っかかるのでは、と少しそういう思いも抱いている。

 

しかし、自分のやり続けているもの、絵や書道、放送もやっていたし、声に関わることも、そういう表現したり発信したいという思いはどうやって持ち続けていけばいいんだろうと思っていたときに、私の発信に引っかかった人からメッセージを貰った。

高め続けておきたいのに見つけられなかった私に、絶妙なタイミングだったのだ。

 

うれしかった。

だから、熱意が冷めないうちに、気持ちが落ちているときでもこの感情を忘れずに高め続けていられるように私はここに残しておくのだ。

きっと、何かのスタートになる今日。

自分のやりたいことは自分で動いて切り開いていく。

それでも、ひとりでは折れそうな時、人は伴奏者がいることで、高め続けられるものを側に置くことで続けていくことができて、いつかたどり着けることができるのだろう。

…と、信じている。

 

 

『公教育をイチから考えよう』の会に参加して。

 今日は、東京で開催された『公教育をイチから考えよう』のリヒテルズ直子さんと苫野一徳さんの会に参加してきた。たまたま告知開始直後、ツイッターで見かけてまだ申込みも一桁台のときに速攻で申込んだ。しかしながら、ここ最近気持ちが上向きになれずギリギリまで悩んでいたのだが、そういう時は無理にでも体を動かして気持ちをついてこさせることも必要と確か誰かが言っていたのを思い出して、行くことにした。でも随分楽しみにしていたのは事実。

 苫野さんの著書「子どもの頃から哲学者」も去年気持ちが落ちていたときに、Amazonのおすすめにたまたま出てきて買ってみて、驚くほどのめり込んで3日くらいで読了したのを覚えている。最近の自分は必要なときに必要な人や本に出会えているのでその感覚を信じて申し込みも何かの縁だと思っていた。

 色んな話を聞いて、頭が飽和状態だった。忘れたくないキーワード、残しておきたいキーワードをノートに綴った。同世代の仲間がネタや手法に自分と同じように一生懸命になってあるときぶつかって原理やあり方に関心をもつことや、特別支援教育でもできること、規律と委ねることの対立など自分が疑問に思っていたことの端々に触れてもう一度自分のもやもやと向き合うことができた。そしてもっと勉強しないと、とガツンと頭を叩かれた感じだった。

 印象的だったのは、手法やハウツーを求めることもぶつかって原理原則、あり方論に行くための一つの入口だと言うこと。ずっと、先生は忙しいから明日使える手法やハウツーに走ってしまいある時ぶつかり苦しむ。そういったサイクルは避けられないのかとなんとなく心の何処かで思っていたけれども、それも一つの入口。そういう言葉を聞けたことも、「ああ、それでもいいんだ。」と少し自分の何処かで安心した様に感じた。

 イエナプランの話が多かったが、異年齢での学び、課題解決、話し合い、プロジェクト化・個別化・共有化などが自分のキーワードになった。それは、自分の今いる現場の特別支援学級にすごく重なる部分があった。自分の現場はまさに、異年齢集団、個々の相互承認が必要不可欠、話し合いの授業がメイン、話し合いをしてプロジェクトや課題解決をする授業の組み立てになっている。そこで、もう一度授業やカリキュラムの考え方、子どもへの課題の渡し方を考えるヒントとなった。こちらが決まった課題を与えたり、子どもを飽きさせない話し合いのテーマを考えることも大事だが子どもが自分でどんな話し合いや課題を解決したいか、自分の内にある課題を自分の言葉で出させてみんなで考えていくことも大切だと思った。

 それから、きのくに子どもの村の卒業生が自分の心の中の葛藤や将来を話していて、心の波を受け止めながら何を見ているのかということが聞けたことも貴重だった。そこで考えたことは、発信すること。自分はなんのためにどうして発信しているのだろうか。 SNSなどの媒体が手元にあることが当たり前の世の中で、自己満で使うのもいいけれども自分がなぜどうしてどうやって使っていきたいかを帰りの電車でぼんやり考え、なんとなく気持ちを決めた (ような気がした)。

 今すぐに自分に何かできるわけじゃないが、自分の将来を見据えてもっと考え、もっと学んで、もっと動いていくヒントや引き出しをもらうことができた。

 

 

2016年買ってよかったもの。

このタイトルを多々見かける。

ということで自分も便乗。

 

 MacBook Air

Apple MacBook Air (13.3/1.6GHz Dual Core i5/8GB/256GB/802.11ac/USB3/Thunderbolt2) MMGG2J/A

Apple MacBook Air (13.3/1.6GHz Dual Core i5/8GB/256GB/802.11ac/USB3/Thunderbolt2) MMGG2J/A

 

 

実践の記録とか、いろいろなものをまとめたかったが以前のPCが一文字打つことに固まる。まとめなければ問題はないが、まとめることを永続的にしようと決めた自分が思い切って、Windowsユーザーから切り替えたが今のところさほど困らず、快適に過ごせている。年末の大出費だっけれど快適さ速さは鬼スピード。

 

 

 サーモス 水筒

 春に以前持っていたものを紛失。泣く泣く購入したが、暑いときも寒いときも保温効果が高い。時間がないときには、お湯とティーバックを入れるだけで使える。特にこれからはもっと役に立ちそう、節約にもなる。

 

2ヶ月卓上カレンダー

 職場の机の上で一年間お世話になりました。

仕事の見通しを持ったり、期限に割りと心の余裕を持って取り組めた。

見通し持てなくて自分のスケージュル組むのが苦手な自分にはありがたいものだった。

 

 

キリン のどごし オールライト

キリン のどごし オールライト 350ml×24本

キリン のどごし オールライト 350ml×24本

 

 必需品。

 

 

ソフトパステル

 今年は個人的にめちゃくちゃ使った。

グラフィックの見栄えもアクセントにもなったし、一番使っている私が楽しく使っていた。

 

 

医療テープ 

 今年は咽頭痛で2回熱を出し点滴も打った。自分の体調不良はいつも呼吸器官から来るのだが、あるときオリンピック選手が毎日口にテープを貼っているというのを見てやってみた。今のところびっくりするほど元気に過ごせている。(と思っている。)

 

 

良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

意図的に刺激を必要とすること。

今日も昨日のクラスに入った。

今日は体育。

子どもはトラック3周を指示されて、その間に先生が準備をしていた。

いつも遅れて、いや活動に入れない子がいる。

刺激が足りないのかもと思い、あえて高い高いをする。喜んでくれたが一時的な持続にしなならない。

それでも走れなくて、その子に合わせてカニ歩きとかしてみる。

その子の運動の看取りもしたくてあえてスキップをお願いしたがやはりできなかった。

とりあえず自分と一周回ることで精一杯。

刺激が足りないのかもと意図的に、腕をブラブラさせて意図的に刺激を試しに入れてみる。

もしかしたら、その後の活動がやりたかったのもあるかもだけれども、なぜかその後は普通にみんなと同じに活動して体育をしていた。

ときに刺激を意図的に入れて、動かすことも必要だ。

自分もそうで。こういう世界でこういう話を聞くまでは気が付かなかったけれども、中学の時からイヤフォンで朝、学校が始まるまでにガンガンにアップテンポの曲を聴く。

これは自分なりの刺激の入れ方だ。今でも通勤のときはガンガンにロックを聴いて仕事に行く。

大人でも貧乏ゆすりをする人がいる。これも刺激の一種だと思っている。

人にはそれなりの自分の調節の仕方がある。

 

 

最近は、勝手に心が折れている。

 人と関わることを0か100でしか調節できない自分は、

時に人ともっと関わりたいと思えば、過剰に関わりすぎて疲れ心折れることがある。

もっと上手に調節できればと思うのだけれども、それが困難なことが課題なんだろうとも自覚している。

 

 

正解はないということ。

今日はとある教室の支援に入った。

大変な教室だけにすでに2人の大人がいた。

一度通り過ぎるもなぜだかとても気になって、教室のドア、閉まっていたけれど入った。

 

1時間目が終わると自分より遥かに年上の支援に入っていた方が寄ってきて、

「今まで授業の邪魔しているとか、どうやって支援したらいいかわからないでいたんですけれど、先生の支援の仕方がすごく勉強になりました。ありがとうございました !」と言われる。

驚いた。何か意図的に入ったのではなく、空気をなんとなく感じて入った教室。

教育の世界は、ときにうまく言語化できないことがある。

経験から感じ取る電波とか、雰囲気とか、空気。

そういう自分で言語化できないことを言語化できるようにするのが今の自分の課題ということも知っている。

記録を続けていかなければいけない、実践を記録し続けなければいけないと感じるのは自分自身の課題が ”そこ”にあり”それ”に慣れる、経験を積む必要があると感じているからだ。

 

教育にも、支援にも正解はない。

 

それでも、今日のように自分の動きから何かを感じ取ってくれたことはうれしかったし、自分のしていることを言語化してもらえてメタ認知できたことがうれしかった。

 

 

言葉の裏

今日明日は連日で出張なのだ。

今日は出張名前にすれ違ったのに「あ〜」とか言ってわざわざ戻ってきた坊やが抱きついてきた。

「一週間ぶりだよ〜」なんて覚えていて髪を切ってカッコ良くなりながら、可愛い顔していってくる。

 

この子は、運動会の時に

「わからないんだよ」って苦しそうに絞った言葉を選んで私に訴えてきた子。

あの時の方が忘れられない。

この小さな子から、わからないことさえわからないと言えない苦しさがあることを教えてもらった。

忙しさで人との関係を雑にしてしまうことがあるけれど、忙しい時こそ相手の気持ちの細部まで考える大切さ、わからない裏まで考える大切さを教えてくれた子が

 

なんだか愛らしく抱きついてきてくれて、今日も勝手に痛いくらいありがとうという気持ちになったのだった。

 

 

理解してもらえて進めること

が、ある。

 

今日は2つのグループの授業だった。

この曜日が一番辛くて、一番考えて、関わっているおかげで自分の中の思いがたくさん動く。

 

今日は自分のことをよくわかってくれている人に、この日の授業をする辛さを愚痴った。

よくわかっていて、笑い飛ばしてくれた。

 

それでも、このままではいけないと思う。

確かなものを掴んで進みたいと思うから、前へ前へ、こんなんじゃダメだ、とあせる。

焦っても何もならないのは知っていても。

 

それでも、笑い飛ばしてくれた人にまた決めた今日の決心を聞いてもらった。

 

このままじゃダメだ。

もっと前へ進まないと。

 

 

こころが動く

いつもと違う環境で美しいものに触れながら、自分のことを沢山考えた二日間だった。

本物に触れるのはいい。

聚楽院で利休の茶室と狩野永徳、父の松栄の国宝障壁画を見る。

本物に触れることもいい。

 

いつもの空間から離れて、静かな空気を吸い、凛としたものを見た二日間。

自分のことに焦点を当てて、本物や素晴らしいものを見ながら自己を見つめる。

こころが沢山動いた。

この先をどうしたいか決心することができた旅だった。

 

旅はいいな。

沢山こころが動いて、真剣に深く考えられた。

 

御朱印を今回も集めていたのだが、ノープランで行った神社はほとんど菅原道真の関係ものばかり。

御神籤があるところでは全部引いてみた。

地道に学んで勉強しなさいみたいなことが書いてあった。

 

来年は、今年よりもさらに地に足をつけて学びたい。そう考える時間だった。

f:id:meguru1844:20161204190235j:image

 

f:id:meguru1844:20161204190255j:image

 

f:id:meguru1844:20161204190306j:image