WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

意図的に刺激を必要とすること。

今日も昨日のクラスに入った。

今日は体育。

子どもはトラック3周を指示されて、その間に先生が準備をしていた。

いつも遅れて、いや活動に入れない子がいる。

刺激が足りないのかもと思い、あえて高い高いをする。喜んでくれたが一時的な持続にしなならない。

それでも走れなくて、その子に合わせてカニ歩きとかしてみる。

その子の運動の看取りもしたくてあえてスキップをお願いしたがやはりできなかった。

とりあえず自分と一周回ることで精一杯。

刺激が足りないのかもと意図的に、腕をブラブラさせて意図的に刺激を試しに入れてみる。

もしかしたら、その後の活動がやりたかったのもあるかもだけれども、なぜかその後は普通にみんなと同じに活動して体育をしていた。

ときに刺激を意図的に入れて、動かすことも必要だ。

自分もそうで。こういう世界でこういう話を聞くまでは気が付かなかったけれども、中学の時からイヤフォンで朝、学校が始まるまでにガンガンにアップテンポの曲を聴く。

これは自分なりの刺激の入れ方だ。今でも通勤のときはガンガンにロックを聴いて仕事に行く。

大人でも貧乏ゆすりをする人がいる。これも刺激の一種だと思っている。

人にはそれなりの自分の調節の仕方がある。

 

 

最近は、勝手に心が折れている。

 人と関わることを0か100でしか調節できない自分は、

時に人ともっと関わりたいと思えば、過剰に関わりすぎて疲れ心折れることがある。

もっと上手に調節できればと思うのだけれども、それが困難なことが課題なんだろうとも自覚している。