授業づくりネットワーク成蹊大学に参加して
昨日は、授業づくりネットワークの集会だった。
『インクルーシブ』ということでどんな内容なのか、ということ、講師の方々がどういう話をするのか、ということに感心を持って参加した。
私自身が一番強く関心をもったのは鼎談での記録の話だった。
エピソードの記録に始まり、授業記録のとり方、質・・・記録ひとつとっても様々なやり方がある。
阿部先生の言う時代にあったような記録とはどういうものなのだろうと考えて聞いていた。
夏に授業記録の学習会を行い、グラフィック✕リフレクションの研修会を考えている私にとってピンポイントな話題だっただけに、猛烈に刺激を受けた話だった。過去の授業記録にまずは当たろうと強く決めたきっかけになった。過去から学んでいまに到達する、ということを少ししてみようと思い、昨日話題に上がった記録に関わる本を購入した。
と、いうのが一点。もう1つは『学習者側にたった記録』について。
特別支援の学級で仕事をするようになってから、毎日所見のようなものを書き担任、保護者とその日のことを共有するための記録書いている。毎日書いているのだ。
はじめは何をどう書けばいいかわからなかったが、決められた分量で伝わりやすく書くには一つのエピソードを切り取って書くことにしている。朝から帰りまで書いたのでは伝わりにくい。ただ、そのエピソードも前後関係をうまく書かないと伝わらない。どの言葉を取捨選択していくかもポイントになる。
その一人の記録を書き続けているが、昨日の話を聞いて今まで書いたものを一つのデータに整理して並べるともしかしたらなにかが見えてくるのかもしれないと思ったので合間を縫ってやってみようと思う。
2年、3年続けて持たせてもらっている子がいるので子どもによっては3年間の記録となる。縦断的な記録となるのかもしれない。
研究とか、記録とかとは別に、私自身がその子との関わりの中で気づかなかったことが記録から見えてくるかもしれない、その一点だ。自己の研究にしようということではなく、記録をしていて見えるものがあれば、支援の次につなげたいというそういう思いだ。
自身の授業も、支援も声掛けもやったらやりっぱなし流れっぱなしのままである。
残すことで過去の自分から先の実践へ繋げられるよう、まずは形に拘らず「残す」ことを続けたい。
ブロクを書いているのもそういう一心なのだ。
(整理しやすいし、記事も見つけやすいし。)
エリック・カール展
昨日から始まったエリック・カール展に昨日は初日参戦。
その前にお話が聞きたくて、昨日は特別支援のプロと会ってもらった。
今年も何人かの担当をもっているのだけれど、その中でも自分の中で頑張って向き合わなきゃいけないだろうなと思っている場面緘黙 (っぽい子)と LDの子。
特に、昨日は、前者の方について聞きたくて、前からお願いして昨日会ってもらった。
話をしたら、全部わかるわけではないけれど、こんな感じなんですというと、的確に当てはまりそうな話をしてくださった。
しかも、「それって場面緘黙じゃないかもしれないし」と言い切らないところがプロだと思った。障害を確固とするのではなく、状態を聞き個々の事象から考えていく。私の「かもしれない」傾向の話で障害を決めない。そういう考え方の大切さにもはっとする。こういうことがあるかもしれない、これもあるかもしれない・・・とか、様々な引き出しと可能性が聞けた。
この方がどういうスタンスで現場で働いているのかも聞たことも良かった。
ありがとうございました!
自分で考えてもわからないことは、餅は餅屋で聞く。それで次に繋げられる。
学校では一人で考えなさいという時間もあるけれど、発達特性のある子どもは、何をどうやって聞けばいいのかもわからない時がある。考えるプロセスにも、段階がある。聞けるというスキルは、最大の武器なのかもしれない。そう思った。
エリック・カール展は素晴らしかった。
初日なのに人はごった返してなくてゆっくり見られた。
絵本で印刷されるとわからなかった絵のでこぼこや、絵の具のかすれ、切絵の重なりがとても繊細でこういう作品の作り方もあるんだ・・・と参考になった。
『ホンモノを見る』ということは、やっぱり揺るがない大切なことなのだと思う。
行き交う人々もまた旅人なり
離任式と歓送迎会。
この勤務体制になってから、もう二年間も離任式には参加できなくなった。
夜の会では、出て行かれた人、新しく来た人を交え、美味しいお酒を飲み、食事をした。
歓談の中でも思い出話などに花が咲く。
お世話になった方、深く関わった方が手紙を読み、花を渡す。
ある人と話したときのエピソードが引っかかっていたようで、こういう時に想起される。
『学校というのは時期や季節があるから美しい。有難く仕事ができる。』これは、以前トップが言っていた言葉だ。そのことにも関わるのだけれど、その私の云うある人とのエピソードとは、『学校とは、時期があるから過去の失敗も難しい感情もその時期や季節によって美しく流されたり、思い出にしてしまう。学校とは異質な場所。』というのは随分自分の解釈が入ってしまうが、取りまとめるとそういうことを言っている。
保護者、同僚、子どもとの関係も、卒業や行事の時期に上手に丸められ切り取られていく。感情と事実がごっちゃになる。
例えば、あの時確かに難しいことや感情的にぶつかることがあっても、離任という事象を契機に「すっかりきれいな思い出になってしまう」。「卒業」を契機に過去の子どもに対する申し訳なかったという事実も葬られてしまう。といったような具合。
「卒業を契機に」は、私のことだろう。
ずうっと前に保護者に言われた言葉が忘れられなかったが、卒業式のにその保護者に御礼を言われた。私は喜べなかった。この保護者に以前言われたことは正しくて、自分の至らなさがそこにはあったのだけれど、この御礼を言われたことで忘れてはいけないとつなぎとめておいた感情を忘れる訳にはいかない。そういう思いから、素直に心の底から喜べなかった。
そういう時期的なマジックにかかり、自分の至らなさ、力の無さで犯した事実を流してはいけない。私の場合だけれど、そう思ってこれからを過ごそうとすずっと考えている。
けれど、半分、そういう時期的なものに喜びを感じて過ごすことも必要だとも思う。
自分が抜け出せず前に進めずにいるなら、時期的マジックにかかってもいいのじゃないかと思う。
物事には全て裏表がある。
今日書いた話も、実は両輪だと思っている。
片方が大きくなれば、私自身が崩壊するに違いない。
ただ、どちらがどれだけの割合を占めるかの決定権は自分にある。
そういう感情をつなぎとめておくことで、実践や自分の未来に明るくなることもある。つなぎとめておくことで、次に進めないのなら、多少手放していくしか無い。
今の自分は、、、というと、つなぎとめておく覚悟の割合のほうが多い。
バランスとは五分五分のことを云うのではない。これがいまの私のバランスなのだ。
今日は備忘録。
また振り返って読んでおきたい記事、自分のために書いた。
【朝読み*29日目】 片倉信夫氏【僕と自閉症】
【朝読み*29日目】
片倉信夫氏 【僕と自閉症】『第3章 世の光をめぐって』《精神薄弱者更生施設》、《精神薄弱者の教育》の章を読んだ。
障害のある子どもの就労にかかわる著者の哲学的思い、信念のようなものに触れる。
特に、この章では【糸賀一雄 著 《この子らを世の光に》】の引用が膨大にされている。と共に、著者が影響されたということが読み取れる。これは、一度この著書にも当たる必要があると感じ、近いうちに実行したい。
この分野の領域と言うのは、言語化しにくく、どう表現し、どの言葉を選んで書いたり、話したりすればいいのだろうといつも壁に当たる。
それでも、この本はそういう壁を超えるヒントや、きっかけをいつも開くたびに思想的にも実践的にも与えてくれるものだということを今日のよみでも感じたのだった。
生産的に読書ができない日もある。それでも、一行でも読むことが先にすすめる力となる。量にこだわりがちだけれど、今は量ではなく、続けることに価値を見出したい。日々もそうあってほしいと願う。
当たり前が一番難しい
生活が戻ってきた。
普通に食事して、普通に就寝して、普通に起きる生活。
注目することは特に無いのに、この普通が一番難しい。
年明けくらいからズルズルと安眠できない日が続いた。
寝れた、と思っても、また少し経つと一時間おきに起きてしまい寝不足の生活。
最近が一番ひどくて、早く寝ることに試みても途中起きてしまったり、布団に入っても寝付けずそれが原因で体調不良や、心の疲れがひどくなっていた。
これは死活問題だ!このままでは、病気になってしまう。
去年公演を聞いた、諸富先生の話が頭の中をぐるぐる駆け回る。
ときには、プラシーボ効果…いやいや、もう外的措置が必要。
薬を飲んだら、難なく眠れた。これで、依存なんかになっては逆効果。
昨日は、何もなしで寝てみた。
一度起きたけれど、それほど不眠の感覚はなかった。
少しずつ、当たり前に眠れるという生活を取り戻して、心の安定も少しずつ戻ってきている。
少しのことで動揺し、少しのことで心折れる。
本当はもっと強くなりたいと思って、強いふりをしてもガタガタと音を立ててすぐに崩れる。
地盤が弱いのに強くなんてなれやしない。
いまは、眠れる日常を取り戻しつつある自分の生活をもう少し安定できるように付き合うこと。そうしたら、次を考えてみよう。
他者理解とは
ここ最近一番腑に落ちた話は、『他者理解とは自己理解から始まる』という話だった。
相手を知ることは、まず、自分の特性を知り、長所短所を理解していることだという話だった。
私自身、その自己理解をもっと深めるためにはその自分の長所短所、特性を言語化し、整理できるともっと理解が深まるのだろうと思う。
そもそも、なぜこの話が腑に落ちたかというと、いつも自分の指示を出しても話をしても、思い通りにもいかず周りと合わない反面教師的存在の人物を思い出したからだ。
私も、周りの人間もその人物には心労していたのだが、いつも、この人はどうしてもっと自分の特性に気が付けないのだろうと思っていることが毎日だった。
そんな感情をふと思い出した。
理解したところで、周りとの違い、ズレを受け入れられるかといえばそれはまた次の段階の話なのだと思うけれども…
そもそも、毎日通ってくる発達特性の子たちは、自分の特性を本質的に理解し、自己の長所短所を知ることで、すっと今までできなかったコミュニケーションや課題がすんなりできてしまうことがあった。詰まるところは、そういう話なのだと思う。
自分ができないこと、できること、苦手なことを知れば、次に「なぜ」や「どうして」という思考に繋げられる。
まず相手のことを知りたければ、もやもやしていたり、消化不良を起こしている感情の矛先を自己に向けてみる。
そういうことを頭に入れて、今年度も過ごしたいと常に思う。
会いたい人に会いに行く
新年度が始まった。
タイムラインには元気一杯、やる気いっぱいの書き込みで溢れてる。
春を感じるひとつ、だったりする。
でも私は書かないんだ、そういうこと。
書けないんだ。
出だしにいいこと書いて、崩れて言った自分のトラウマがある。
過去の記事を見ると虫唾が走るほどだ・・・
もう、口先だけいいこと言って人に言えないようなことはしたくない。
だから、この時期パワー溢れることを体が受け付けられない。それは、他を否定することではなくて、自分のやり方がこうした方があっている…と、わかっているからだ。
毎日輝いていたり元気溢れたりすごくなくていい。当たり前のことを、ひとつひとつひしひしとやる。
最近は、会いたいと思う人、会いたいと言ってくれる人たちにあって元気をもらっている。
なにか、利益があるわけでも特別なわけでもない。
でも、会いたいと言ってくれることが特別なんだと、そういう当たり前のようで実は当たり前でないことをひとつひとつ大切にしたい。
ひとりには限界がある。
昨日は去年から連続してお世話になっている、視覚支援の専門家の方に校内研修で来ていただいた。
民間研修で知り、来ていただきたいと思い去年叶い、今年も来ていただくことができた。
私としては焦燥しきり眼の前のことで手一杯だったこの時期に、もっとやらなくちゃいけないことも、もっと大切なことがあるということも改めて考える時間になり心の余裕を作ってもらえた。
学級の中に眠っているお宝、普段使っていたけれどそういう意味付けで・切り口でもっと使えること。
同じものでも、知っているかで相当価値が変わるということ。
困難さの根幹にたどり着くまで大人がちゃんとした知識で子どもに寄り添った挙げられるたくさんの視点と柔軟性。
「そういう辛さ、原因で躓いているのか」と自分含め気づいてもらえただろうか。
学ぶ熱意と行動力さえあればたくさん知識も詰め込めるし、勉強することはできる。
でも、そこには限界がある。
人と関わるってこういう良さがあるし、大切なことがあるなんてぼんやり考える時間でもあった。
ありがとうございました。
支援の伴奏者として
担当している児童に瞬時に何ができるかという判断と切り替えが、一週間に一度しか無い通級では肝になる時がある。
担当している児童のそれぞれの個別の時間に学習する予定を、個人的に学期ごとに一覧にして出す。こちらが必要だと感じて入れて段階的に入れる予定もあれば、私自身気がつかない子ども自身の「今やっておきたいこと」があるかもしれないので、個別の時間の計画は 2つくらい組んでおいて、もう1つは相談する。そうして、個別の学習の時間は 3つぐらいの活動ができるようにしておく。しかし、そうならないときもある。
例えば、今日は担当の児童が学習中にリーダーの教師の 3-5チャンクの手拍子は理解できてもそれ以上数が増えるとついていけなくなる。といったことが起きて、今日は「あれ」と思ったので急遽個別の時間は数の復唱、逆唱に変えた。7チャンクまで行くと混乱するようで、意図的に4と3の間で拍を取るとすんなり言える。どんなパターンに弱いのかお互いに把握しておく。そうして、どこに弱いのか、どうしたらできるのか特性を伝える。
予定していたことを計画通り段階的にやることも大事だけれども、気づいた時、今やったほうがいいのか、もう少しこちらが工夫してやるのか、時間を開けてやるのかそういう判断はこちらが決めることも多いけれども、最近は相談してすすめることもよくある。
縁あって担当することになったのだけれど、支援の伴奏者として何をいつできるかをいつも考えている。
「気持ちを高め続けられるものを置くこと。」
この言葉は、日曜日に話を聞いた今度大学生になる古賀さんの言葉だ。
このことを日曜日からずっと考え続けている。
古賀さんは、オランダやイエナプランに対する熱意を絶やさないために高め続けておくために、オランダのキャラクターであるミッフィーのシールをパソコンに貼ったり、ミッフィーを自分の側においていると話していた。
自分も続けていることや、やりたいこと熱意として持ち続けていることはある。
側に何をおいて熱意を持ち続けたらいいんだろうとずっとずっと考えていた。
そこで、まずは心を動かされた古賀さんとFacebookでつながってもらった。
彼女の活動を見るとあの時、心が動かされた、情熱を持ち続ける大切さを忘れずにいられるだろうと思っている。
そして、古賀さんが話されていた発信し続けることで広がり、自分の意志や思いを少しずつでも広げられることの意味を深く考えた。
発信するには、枠を飛び出さなければいけない。狭いところでぐるぐるしていても進めない。
匿名性ではあるが、外に出すことにウエイトを置いて、Twitterも全体公開にした。
誰に投げかけるわけではないが、私の意思や思いが誰かに引っかかるのでは、と少しそういう思いも抱いている。
しかし、自分のやり続けているもの、絵や書道、放送もやっていたし、声に関わることも、そういう表現したり発信したいという思いはどうやって持ち続けていけばいいんだろうと思っていたときに、私の発信に引っかかった人からメッセージを貰った。
高め続けておきたいのに見つけられなかった私に、絶妙なタイミングだったのだ。
うれしかった。
だから、熱意が冷めないうちに、気持ちが落ちているときでもこの感情を忘れずに高め続けていられるように私はここに残しておくのだ。
きっと、何かのスタートになる今日。
自分のやりたいことは自分で動いて切り開いていく。
それでも、ひとりでは折れそうな時、人は伴奏者がいることで、高め続けられるものを側に置くことで続けていくことができて、いつかたどり着けることができるのだろう。
…と、信じている。