「学ばせていただきました。」はだめなのか
というつぶやきを昨日見かけた。
※ここからは個人思考整理の時間です。
だめではないと思うが、書いた本人にも文脈があり、読み取った本人にも文脈がある。と憶測する。したがって、いいとかだめとかいう範疇を超えていると思う。いいとか、だめなのかとかそういう判断はできないのではないかと思う。
例えば、「学ばせていただきました」が【腹立たしい】と思った文脈には、きっと緻密に学びを積み重ね、力をつけてきた本人に対してこの「学ばせていただきました」は失礼に値すると感じ取っているのだろう。血反吐が出るほどの苦しみをかけた年月の努力を、一時間切り取って見ただけでなにを「学んだの」と言いたいのだろう。
よく分かる内容である。
反して、「純粋に勉強になった、明日からの授業で使えるか考えよう、試してみたい」と思うことはだめなのか。ということについてだが、これは、おそらく勉強になるのは、学級や眼の前の子どもを相手に実践したあとに自分がどのように「実践を整理し、自分の実践として残していくかを考えたとき」が「勉強になった」といえる段階で、セミナーで得たものは、正直学びではなく「情報」だと思う。というのは言いすぎかもしれないが、百歩譲って、セミナーで得た情報をその時自分の頭で咀嚼したときが「学び」になると私は考える。
私は『研修会では、指導力はつきません』と言ってます。『研修会で得られるのは情報や刺激。知識は読書から。指導力は、子供との授業で付くものです。いくら情報と刺激を得ても、授業で子供達を指導しないと付きません。子供達が成長した時、ご褒美として教師に指導力が贈られます』だと思うのです。
— 池田 修 (@ikedaosamu) August 8, 2018
少し言葉は違うが、この説明は納得である。
つまるところ、今Facebookの一部で話題になっているらしい「学ばせていただきましたは、腹立たしい」に対して同じ目線で「学ばせていただきますじゃだめなのか」という疑問は、向いている方向性が違うわけで、そこに疑問を持つのは論外なのかもと思った。という、自分も疑問を持ったので思考の整理をしてみたのだった。