WEDGE

書いて頭の中を整理する、自己満足のたのしいブログ。

特別支援コーディネータという仕事

大型連休中に、母の姉…つまり、伯母夫婦と祖母と4人で過ごした日があった。 伯母夫婦もよくお酒を飲む人達なので晩酌をした日があった。その時に、不意に、祖父のことを聞いた。 私の祖父は、青森の無医村で開業していて、日本で初めて病院の送迎バスを始めた医者だった。…と、聞いている。 その祖父は二期、村長も務めた。 それで、ふと思い立って伯母に「おじいちゃんは、自分で村長に立候補したの?周りから推薦されたの?」と、聞いた。 酔っていたからか、そんな質問が浮かんだのかも(笑)

 
そしたら、伯母は「父は、政治もやらないと村医者はできないと自分から立候補したんだよ。」と教えてくれた。
以外だった。
私の知っていた祖父は、村民から慕われている人だったので、周りが推薦していたのかと思ったらそうじゃなかったというと。
政治をしないと村が見えないといった祖父の言葉。
なんだか少しわかる気がする。
 
今年度、私は特別支援コーディネーターの総括をしている。
それは、自分から申し出たわけではなく、校長からお願いされたものだった。
でもやってみて、わかり、学ぶことがたくさんあった。
校内の支援体制の動きや、特別支援学級を使っていない子どもでも、特別支援を必要とする子どもの様子、特別支援学級を利用してはいないけれど支援を必要とする保護者の思い。
特別支援とは、支援学級以外にも学校全体として動いていること。
 
コーディネーターの総活役をすることで、見えてきた校内の支援体制、そして、学級担任の先生をどう支えていくか。
これは、きっと特別支援学級担任の仕事“だけ”ではわからなかったことだと思う。 
私は祖父ほどではないけれど、全体が見える立場に立たないと、自分の仕事の細部が見えてないというのは納得できる話だった。
 
『町医者理論』という言葉を聞いたことがある。
私の祖父は、有名な大学病院からオファーが来てもそちらを断念してでも地に足をつけて最期まで仕事をしてきた医者だった。
 
私も、自分の置かれている場所で、愚直に仕事ができたらいいなと思っている。
 大型連休中に、そんな話が聞けたのは、すごくよかったと思っている。