WEDGE

書いて頭の中を整理する、自己満足のたのしいブログ。

子どもをみとることについて考えていること。

研修があった。

配布された発達検査と、指導の評価の資料、そして2分程度の授業ビデオを見て、事例検討を話し合う。

でも、事例検討を話し合う時間も10分程度。

話し合った内容の発表を延々と聞く時間30分くらい。

最後に講師の先生の話、30分。

 

切り取った一場面では決して子どもの事は考えられないし、

そもそも人間の生きる過程は断片的でなくエピソードで続いていると思っている。

切り取った部分だけで見るのは難しい。

切り替えができない場面が、映像で写っていたり、学級ではお客様状態と言っていたけれども、どのレベルで?どんな関わり方をしていて?集団の中や環境がかわるとどんな関わりをしているのか?

と、わからないことが多かった。

研修の構成自体に疑問が多かった。

ずいぶんハイレベルな研修だと思った。

 

ただ、わかったことは、岡山に行って考えたことで、自分自身が子どもを『個』で見なくなったということ。

『個』というのは関わりのかなで生まれ、作られていくのであって、

その『個』だけを切り取って考えることはできない。

環境や人とが変われば関わり方も、出てくる課題も違う。

そういうことに自分の眼差しが肥えてきたことが感じられた。

 

どうも今日の研修は、「この子はこうなんです」と言い切ってしまって、周りとの関わりが見えなかったから、あんまり考えたくない時間だったな。

 

・・・っていうのが本音。