なんのために学ぶのか
と、聞かれたら、前は『ネタ探し!』と言っていたが
今は、『自分自身の現在地の確認と振り返り』のため、だろう。
視点が変わってから、参加する学びの場も変わってきた。
今日は免許を取るために国立大学へ単位取得に行く。
学びのあり方はいつまでも教師になりたての頃と同じとはいかない。
けれど、先生になって4年目くらいまでは、学び方を変えたら自分が廃る、枯渇する!と思っていた。
今は、昔の通りにするとなんのために学んでいるのかわからなくなるし空っぽになる。
という以前に、すでに今でも空っぽだ。
瞬間湯沸かし器のように盛り上がるネタだけ集めてもこの仕事は回らない。
今一番考え続けたいことは、自分の立ち位置とあり方。
そのためには、もうセミナーだけ行くのでは足りない。
美術館へ行ったり、好きなことを極めたり、本を読んだり、そういう時間がかかりそうなことをコツコツ続けることで教師という以前に、自分が作られていくのだろう。
この仕事をして5年目くらいまでは見えなかったことがやっと見えてきている。
私はそれだけ時間がかかる。
周りには、そんなに時間をかけなくてもセンスがある人がたくさんいる。
なにも、すごい先生や有名な先生じゃなくても職場にも後輩にもたくさんいる。
キラキラした人たちや元気な人達に触れることは時に大切だ。
でも、そういう人たちを追い続けるよりも、今は身近にいる素敵な人を大切にすることが、自分の未来につながっている気がする。
大好きな写真家の言葉がいつも頭の真ん中にある。
わたしが写真を撮るのは自宅周辺だ。 神秘的なことは馴染み深い場所で起こっていると思っている。世界の裏側まで行くひつようはないんだ。
足元の大切なものに気がつくために - WEDGE
地味でもいい。それが合っているから。