偶然の連続が必然的になるとき
大学での連日の集中講義では専門用語がたくさん出てくる。
昨日は、嫌子消失、強化子、両側検定、片側検定とか、有意確率、アセスメントバッテリー…などなど。
私に取っては、全部聞いたことがある単語ばかりだ。それは、私が心理学部出身だからだろう。
昨日の長い講義の中で、ふと、もし私が心理学を大学で学んでいなかったらこの連日の講義は聞けていたのかとぼんやり考えた。いや、きっと聞けていないと思う。
なにせ初めてのことにはものすごく抵抗があり受け入れられないからだ。苦笑
大学を受験する時に、教育学部を受けた。そしたら落ちた。しょうがなく、心理学部に申請を出した。母に受けてみたらと言われたからとりあえず受けた。そしたら受かった。そんな軽い感じだった。
教員免許も教師になりたいとか強い思いはなかったのだがなんとなく取った。教採も最初はなる気がなくて、(こんなこと書いたら怒られるけれど)渋々受けに行って参考書なんか買ったけど一度も開かなかったし、1分も勉強しなかったから鉛筆の先に数字を振って転がして出た数をマークシートに記入してた。もちろん落ちた。
それでも、今、教員をしているし、あの時はこうなるなんて思わなかった心理学がむしろ今一番役に立っている。少しわがままを云うならば、心理検査とか精神疾患とか鬱とか病院臨床専門のゼミではなく学校臨床のゼミにいたら違ったのかも。
でも、それはその時の興味であって。
ただ、あの時関係ないとか必要ないとかそんなに熱中していなかったものちたが今すごく役に立って熱中している。まわりまわって、私の中ではいま一周して戻っきた感じだ。
いろんなものをつまみ食いのように美味しいところだけ拾っていくのはもうやめたい。自分が今必要なことを着々と、基盤を作れるように、今何が大事かやりたいことが少しずつ見えてきた。それに向かって一歩ずつでいいから歩んでいきたい。
筑波大での集中講義も今日で最後だ。
今日は試験のある日。講義を聞きながら、少し自分と対話を続けたい。