WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

他者と関わる大切さを教えてもらった

 今週は休み明けのせいかすごく長い一週間に感じた。外に出向く日も3日あって、憔悴した。昨日も、帰ってきてからの記憶があまりない。そんな一週間だったけれど、素敵なこともあった。

 

 今週は私の提案で、レゴワークを一週間、中学年のグループに取り入れてもらった。「自分とはこういう人」というテーマをレゴの造形づくりで表現してもらった。やってみると分かるのだけれど、言葉をうまく扱える年齢になればなるほど、創造も発想も豊かになる。作っているものがうまい、ということではなく、自分が表現できるか、ということだ。

 私は、はじめ、この活動は、いかに自分のことをメタ認知できているかがポイントだと思っていた。だから、いきなり自分のことを言語化する前に、創作活動をワンクッション入れることで、自己との対話をし、自分を見つめ直した上で自分というものを言語化してほしいと思っていた。

 自閉症児は説明が苦手だ。という説がある。実際向き合ってみるとなるほどと感じることがたくさんある。そういう説明における練習も意図してこの活動を取り入れた。

 

 大体予想していたのだが、説明が苦手だったりWISCの結果が低い子は、「自分とはこういう人」というテーマを忘れて「レゴを作る」ことに熱中してしまい、すっかり忘れてしまうのだ。やってみると何人かそういう子どもがいた。

 だけれども、ある日のグループは違った。その子達から、学ぶことがあった。

 その日もレゴワークをやると、レゴマニアと自分で言っていた子は、作ることに熱中し、テーマを忘れてしまった。自分の説明の番になると、出来たものは立派だけれども、言葉に詰まってしまい、なにも言い出せなかった。私も、予測はしていて、そのときは、ファシリテーターとして「どうして窓をつけたのか」とか自分が無意識に選んだものをすくい上げ意識化させる質問を幾つか用意していた。

 すると、隣りにいた子が「〇〇くんの作った、この車はすごく高いけれど、これは〇〇くんのテンションの高さを表しているよね。」といったのだった。鋭い感想で驚いた。それの適切で鋭い感想が、説明できなかった子に響いたようで、説明できなかった本人は、「思いついたのでもう少し説明していいですか」とすぐに切り替えた。この、適切な鋭い意見を言う子がいたから、説明できなかった子は改めて自分に気づくこと、どういうことを言えばいいかということに気づいた。

 その後に、説明できなかった子は、「車を作ったけれどこれは僕の落ち着きのない早い感じに似ている」ということ「窓をつけたけれどこのすぐ後ろにレゴを積んだのはいつも気持ちが一杯になって上手く言えない自分。この窓は心の窓。」ということを付け足していた。立派な説明だったと思う。

 自分で考えが生み出せなくても、人と関わることで新たに気付けること、教えてもらえることがある。自分一人でがんばらなくていい。そういう単純なことなのだけれども、そういう当たり前の大切さを教えてもらった時間があった。私は目の前で大きな風が吹く感覚に襲われた。

 

 言えなかったら私が・・・よりも、やっぱり友達から教えてもらえたほうがいい。友達がいたことで勉強や学びが深まった。そういう大事なことを真剣に感じて味わったほうがいい。そういうことを今週は、子どもが教えてくれた。

 私も受け入れに時間がかかったり、素直に受け止められなかったりしてそういうことをたくさん無駄にしてきた。このやり取りを見て、人と関わる本当の大切さを教えてもらった。

 私自身がうまく言語化出来ないのだけれど、本当にすごい瞬間で目の前に風が吹いた、そんな時間が今週はあった。

 

 

 人と関わる大切さを忘れないでいこうと思う。