片付けは自己との対話
一昨日から、クローゼットの片付けを始めた。衣替えも始めた。
カレンダーを見ると、来月の〈衣替え〉という時期にきっかりできる自信がなく、ゆったり過ごせている今のほうがいいと思いやった。
それとともに、クーゼットその2も思い切って片付けた。
溜め込んだ古い教育新聞、大量の紙袋、、、、などなど出てくる。
全て纏めた。
ひとつ決断するとスイスイできるもので、台所も全部ひっくり返して片付けた。
溜め込んだビニール袋。
こう見ると溜め込んでばかりである。(失笑)
ひとつうまくいくと、線が切れたかのようにどんどん捨てられた。捨てまくる。
片付け・掃除は黙々とする作業で、自分との対話になる。
溜め込んでいたものと対比するかのように溜め込んでいた自分の気持と対話できた気がする。片付けとか、掃除は苦しい気持ちも、悲しい気持ちも忘れられると昨日は思った。
なんとなく昨日つぶやいたことを思い出すと、忘れていたのではなく、片付けとか掃除という作業を通して黙々とやることで、自分の気持ちも整理していたんだと思う。
掃除機も掛けて床拭きもできたし、ゴミ箱も洗ったし、洗濯機も朝から2回回して布団を洗い干した。
生産的な時間だった。
一番無視していた自分の気持ちも少し整理ができた。
月に一度は、こういう時間を大切に取らないと自分はダメになると思ったので、早速来月のカレンダーに書き込もうと思う。
余談だけれども、一昨日の記事に書いたメールを読み返して、すぐに森信三氏の本を買ったら、即届いた。掃除の合間に読んだけど、すごく面白い…というか、こういうことを言語化できる人たちは尊敬するという気持ちでいっぱいになった。
連休ももうわずか。少しずつ現実に戻ろう。