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WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

行き交う人々もまた旅人なり

離任式と歓送迎会。

この勤務体制になってから、もう二年間も離任式には参加できなくなった。

夜の会では、出て行かれた人、新しく来た人を交え、美味しいお酒を飲み、食事をした。

歓談の中でも思い出話などに花が咲く。

お世話になった方、深く関わった方が手紙を読み、花を渡す。

 

ある人と話したときのエピソードが引っかかっていたようで、こういう時に想起される。

『学校というのは時期や季節があるから美しい。有難く仕事ができる。』これは、以前トップが言っていた言葉だ。そのことにも関わるのだけれど、その私の云うある人とのエピソードとは、『学校とは、時期があるから過去の失敗も難しい感情もその時期や季節によって美しく流されたり、思い出にしてしまう。学校とは異質な場所。』というのは随分自分の解釈が入ってしまうが、取りまとめるとそういうことを言っている。

 

保護者、同僚、子どもとの関係も、卒業や行事の時期に上手に丸められ切り取られていく。感情と事実がごっちゃになる。

例えば、あの時確かに難しいことや感情的にぶつかることがあっても、離任という事象を契機に「すっかりきれいな思い出になってしまう」。「卒業」を契機に過去の子どもに対する申し訳なかったという事実も葬られてしまう。といったような具合。

 

「卒業を契機に」は、私のことだろう。

ずうっと前に保護者に言われた言葉が忘れられなかったが、卒業式のにその保護者に御礼を言われた。私は喜べなかった。この保護者に以前言われたことは正しくて、自分の至らなさがそこにはあったのだけれど、この御礼を言われたことで忘れてはいけないとつなぎとめておいた感情を忘れる訳にはいかない。そういう思いから、素直に心の底から喜べなかった。

 

そういう時期的なマジックにかかり、自分の至らなさ、力の無さで犯した事実を流してはいけない。私の場合だけれど、そう思ってこれからを過ごそうとすずっと考えている。

 

けれど、半分、そういう時期的なものに喜びを感じて過ごすことも必要だとも思う。

自分が抜け出せず前に進めずにいるなら、時期的マジックにかかってもいいのじゃないかと思う。

 

物事には全て裏表がある。

今日書いた話も、実は両輪だと思っている。

片方が大きくなれば、私自身が崩壊するに違いない。

ただ、どちらがどれだけの割合を占めるかの決定権は自分にある。

そういう感情をつなぎとめておくことで、実践や自分の未来に明るくなることもある。つなぎとめておくことで、次に進めないのなら、多少手放していくしか無い。

 

今の自分は、、、というと、つなぎとめておく覚悟の割合のほうが多い。

バランスとは五分五分のことを云うのではない。これがいまの私のバランスなのだ。

 

今日は備忘録。

また振り返って読んでおきたい記事、自分のために書いた。