WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

『公教育をイチから考えよう』の会に参加して。

 今日は、東京で開催された『公教育をイチから考えよう』のリヒテルズ直子さんと苫野一徳さんの会に参加してきた。たまたま告知開始直後、ツイッターで見かけてまだ申込みも一桁台のときに速攻で申込んだ。しかしながら、ここ最近気持ちが上向きになれずギリギリまで悩んでいたのだが、そういう時は無理にでも体を動かして気持ちをついてこさせることも必要と確か誰かが言っていたのを思い出して、行くことにした。でも随分楽しみにしていたのは事実。

 苫野さんの著書「子どもの頃から哲学者」も去年気持ちが落ちていたときに、Amazonのおすすめにたまたま出てきて買ってみて、驚くほどのめり込んで3日くらいで読了したのを覚えている。最近の自分は必要なときに必要な人や本に出会えているのでその感覚を信じて申し込みも何かの縁だと思っていた。

 色んな話を聞いて、頭が飽和状態だった。忘れたくないキーワード、残しておきたいキーワードをノートに綴った。同世代の仲間がネタや手法に自分と同じように一生懸命になってあるときぶつかって原理やあり方に関心をもつことや、特別支援教育でもできること、規律と委ねることの対立など自分が疑問に思っていたことの端々に触れてもう一度自分のもやもやと向き合うことができた。そしてもっと勉強しないと、とガツンと頭を叩かれた感じだった。

 印象的だったのは、手法やハウツーを求めることもぶつかって原理原則、あり方論に行くための一つの入口だと言うこと。ずっと、先生は忙しいから明日使える手法やハウツーに走ってしまいある時ぶつかり苦しむ。そういったサイクルは避けられないのかとなんとなく心の何処かで思っていたけれども、それも一つの入口。そういう言葉を聞けたことも、「ああ、それでもいいんだ。」と少し自分の何処かで安心した様に感じた。

 イエナプランの話が多かったが、異年齢での学び、課題解決、話し合い、プロジェクト化・個別化・共有化などが自分のキーワードになった。それは、自分の今いる現場の特別支援学級にすごく重なる部分があった。自分の現場はまさに、異年齢集団、個々の相互承認が必要不可欠、話し合いの授業がメイン、話し合いをしてプロジェクトや課題解決をする授業の組み立てになっている。そこで、もう一度授業やカリキュラムの考え方、子どもへの課題の渡し方を考えるヒントとなった。こちらが決まった課題を与えたり、子どもを飽きさせない話し合いのテーマを考えることも大事だが子どもが自分でどんな話し合いや課題を解決したいか、自分の内にある課題を自分の言葉で出させてみんなで考えていくことも大切だと思った。

 それから、きのくに子どもの村の卒業生が自分の心の中の葛藤や将来を話していて、心の波を受け止めながら何を見ているのかということが聞けたことも貴重だった。そこで考えたことは、発信すること。自分はなんのためにどうして発信しているのだろうか。 SNSなどの媒体が手元にあることが当たり前の世の中で、自己満で使うのもいいけれども自分がなぜどうしてどうやって使っていきたいかを帰りの電車でぼんやり考え、なんとなく気持ちを決めた (ような気がした)。

 今すぐに自分に何かできるわけじゃないが、自分の将来を見据えてもっと考え、もっと学んで、もっと動いていくヒントや引き出しをもらうことができた。