WEDGE

書いて頭の中を整理する、自己満足のたのしいブログ。

人に会うことを遮断する。

週末の SNSは、セミナーに行くとか学んできたとかの書き込みでいっぱいだ。

学びに行くことはいいことだ。

でも、自分は月曜日から金曜日まで猛烈に沢山の人と言葉を交わし、やり取りをしまくって、更に人と関わると自分が崩れてしまいそうになる。

外出のお誘いがあっても、今日は断って自分と向き合う。

近くの温泉に行って、自分と対話した。

猛烈に人と会ったあとは、会うことに疲弊する。

それでも、土日学びに行く人は、元気なんだなと、そんな客観視。

教師の解釈

ときに見かける、子どもの発言の後に教師がなんか通訳だか解釈だかあたかもしたかのように、子どもの発言を教師のフィルターに勝手にかけて都合のいいように解釈して板書しちゃうあれ、見ていてもやもやする。

 

つまり・・・と、要約したかのように見せかけて、自分の持っていきたい方向に都合よく発言を捻じ曲げて綺麗事にしまう現象。

でも、教師自身は気づいていない。

 

ファシグラをずっとやっているせいか、そういうところが気になってしまう。

受け手の解釈だけで違う言葉で記録に残すと齟齬が起きるやつ。

いやいや、『つまり…』じゃないよ、ぜんぜん違うよ、子どもの発言と、先生の解釈はぜんぜん違うことを指しているよ。

 

そのまま受け止めてあげれる人になりたい。

反面教師だ。

 

 

ポケモンGOは眠っていてもできる。

どの領域から、ゲーマーというかわかりませんが、ゲームは普通に好きです。 

先日、職場の人に(職場にゲーマーがいるのも面白い話ですが)、「モンスターボールプラスをもっているなら・・・」と画面見なくても勝手にポケモンをゲットしたり、勝手にポケストップを回してくれる、凄技を教えてもらいました。

 

料理はじめ何でもそうなんですが、実験したくなる性なので、じゃあ、その方法で寝ている間にどれくらい経験値が貯まるのか・・・と思って実験しました。

 

寝る前に、教わった方法でモンスターボールプラスをセットして眠るだけです。笑

起きたら、 XPが5000もらえていました!びっくりです。

それだけじゃなく、起きたら、ボックスにポケモンが13匹くらい捕まってました。

何もしないで眠るより、仕掛けて眠ったほうが睡眠もお得だということがわかりました。

まるで漁師の気分(違)

 

ということで、今日も寝る前に仕掛けてみようと思います。

 

webdesignerwork.jp

 

hoboshibou.net

年度末は都会にいたくなくなる理由がわかった

気候のせいなのか、一日顎関節が痛かった。

先月もそういう事があった。痛くなると気持ちが悪くなる。

 

休みなので普段眺めない SNSをつい眺めてしまいました。

一年間のリセットとリフレッシュがしたくて、田舎に戻ろうと思っていましたがどうやら戻りたい原因の大半が、リフレッシュとかではないらしいことも判明。

 

 SNSを眺めていて気が付きましたが、3月入って年度末が見え始めたせいか、流れてくる投稿がやたら前向き。やたら過剰パワー。

新年に向けての元気の出るセミナーとか、年度初めに使えるネタセミナーとかそういう宣伝がいつもよりガンガン流れてくる。

そういうのとほとんど無縁後でひっそりと、年度末が過ごしたかったんだ私・・・(遠い目)ということに気が付いてしまいました。

 

かつては、そういうところに行くことが自分のためと思っていましたが、今は行かないほうが自分のためなんですね。

無駄に疲弊しました。

年度末から始まり、年度初めに流れてくるセミナー宣伝、セミナー感想はじめ、新年度の投稿・・・この流れが苦手だなと再認識しました。

小寺卓矢さんの写真展に行く

毎年ながら、2月から3月は特にメンタル的に疲弊している。

そういうときは、人に会わずにじっと過ごす。

会わずに芸術的なものに触れたほうが自分のためだと思っている。

今日は、小寺卓矢さんの写真展に足を運んでみた。そう遠くはない場所での開催だったので、なんとなくの気持ちで行ってみた。

 

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写真展は、小さなカフェに小さな写真が20展ほど展示されていた。

でも、どれも引き込まれるような素敵な写真だった。

そして、御本人がいらしたことがとても驚きだった。笑

来ているお客さんは、みんな小寺さんの知り合いだった。

はじめは、どうしてここで開かれたのかと思っていたが、来る人がみんな知り合いでうちわの会話に耳を傾けていると、この場所が地元だということがわかった。

この場所での開催は3回目だということも教えていただいた。

小寺さんとお話をして心が動いたことは、

「わからないことをわかるように伝えることも大切だけれども、わからないことをわからないまま伝えて、どうしてだろうと考えてもらうことも大切。」とか「わからないことを伝えることのほうがいい」という話はとても強く心が動いた。

また、写真を撮るときは、人が撮らないような自然のものを感じてしまうんですよね。というようなニュアンスのお話をしていたことに、心が動いた。

人が気づかないような、目を向けないようなものにほどどうしても気になるというのは、自分が教室に入ったときに感じるものと似ているのかもしれないと思った。

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まさか、御本人にお会いできるとは思いもしなかったけれども、小さなカフェで、地元を大切にしている小寺さんに出会えてよかったなと思った。

お会いして、会話する中でハッとする言葉がいくつもあり、元気を頂いた。

 

絵本も購入し、サインもいただけた。

帰りは、気になっていたどさん子マルシェに寄って大好きな流氷ビールを購入した。

 

時間に追われることなく、のんびりと過ごせた日だった。

 

 

photokodera.com

www.ehonnavi.net

 

2月が終わる。

カレンダーを見たら、今月はあと2日しかない。

気持ちの波がありつつもなんとか乗り切ることができそう。

今月は遠く離れた親友に会いに行った。

私は幼いときからもともと転勤族だったので、幼馴染はいない。

一つの場所に長くいないので、親友もできなかった。

そういう中で、親友は時間じゃないことを教えてくれたのが会いに行った親友だった。

親友は掛けた時間でも距離も関係ないんだと。

 

親以上に何でも隠さず気にせず心から自分のことを全部さらけ出せる人間が、一人だけでもいることは幸せすぎることなんだ。

すぐには会えない距離だけど、2月はそんな親友に会ってエネルギーもらったから、今年度もあと少し、乗り切ろうって思える。

親友に感謝。

 

700calある悪魔の食べ物を食べながら思った。

悪魔過ぎて恐ろしいから、また明日半分食べよう。。。

デブ活・・・恐ろしい。

 

ファシリテーショングラフィック勉強会を実施しました。

一昨日、自分主催のファシリテーショングラフィック勉強会(以下、ファシグラ勉強会)を実施しました。

 

今回で4回目で、今年初めてのファシグラ勉強会。

今回が一番自信もって話ができました。以前までのスライドでは「私の考える〜」と描いていたのですが、その文章も削除しました。それだけ、自信をもって話せるという確信もあったからでした。

また、レコーディングとファシグラの違いも自分で描いた絵を使い図に表して説明することもできました。

また、ファシグラを描くときに使う空白の使い方も、自分なりにうまく説明できたと感じています。

 

初めて会をしたときは20名で行いました。

ですが、これはあまり身の丈にあっていませんでした。

それからは10名以下で行い、無理をせず公共施設を使って小さな会にすることで、全員の声を丁寧に拾うというのが、大切にしていることです。

これは、自分が授業をするときにも一番大事にしている視点だからかなぁ・・・なんてぼんやり思ったり。

 

今年からは隔月で行います。

次回は4月。また近くなりましたらアナウンスします。

今回は皆さん、私の同業者じゃないことが逆に嬉しかったです。

また、東京の田舎なのに、わざわざつくばから目的をもって来てくださった方もいました。ニーズがそれなりにあるのだなと思いました。

少しは落ちいて話せるようになってきたかな。

 

www.kokuchpro.com

 

 

チョコの日らしい

先日のニュースで最近は義理チョコや友チョコではなく、自分へのご褒美に良いチョコを買うのが流行り。というのを見た。

見る前に、その流れに乗って、少し良いチョコを自分のご褒美に勝っていた。

毎日少しずつ楽しもう。

こういうご褒美、大事。

そしてどちらも、北海道だった。笑f:id:meguru1844:20190214221011j:image

 

 

「学ばせていただきました。」はだめなのか

というつぶやきを昨日見かけた。

※ここからは個人思考整理の時間です。

 

だめではないと思うが、書いた本人にも文脈があり、読み取った本人にも文脈がある。と憶測する。したがって、いいとかだめとかいう範疇を超えていると思う。いいとか、だめなのかとかそういう判断はできないのではないかと思う。

 

例えば、「学ばせていただきました」が【腹立たしい】と思った文脈には、きっと緻密に学びを積み重ね、力をつけてきた本人に対してこの「学ばせていただきました」は失礼に値すると感じ取っているのだろう。血反吐が出るほどの苦しみをかけた年月の努力を、一時間切り取って見ただけでなにを「学んだの」と言いたいのだろう。

よく分かる内容である。

 

反して、「純粋に勉強になった、明日からの授業で使えるか考えよう、試してみたい」と思うことはだめなのか。ということについてだが、これは、おそらく勉強になるのは、学級や眼の前の子どもを相手に実践したあとに自分がどのように「実践を整理し、自分の実践として残していくかを考えたとき」が「勉強になった」といえる段階で、セミナーで得たものは、正直学びではなく「情報」だと思う。というのは言いすぎかもしれないが、百歩譲って、セミナーで得た情報をその時自分の頭で咀嚼したときが「学び」になると私は考える。

 

 少し言葉は違うが、この説明は納得である。

 

つまるところ、今Facebookの一部で話題になっているらしい「学ばせていただきましたは、腹立たしい」に対して同じ目線で「学ばせていただきますじゃだめなのか」という疑問は、向いている方向性が違うわけで、そこに疑問を持つのは論外なのかもと思った。という、自分も疑問を持ったので思考の整理をしてみたのだった。