2月が終わる。
カレンダーを見たら、今月はあと2日しかない。
気持ちの波がありつつもなんとか乗り切ることができそう。
今月は遠く離れた親友に会いに行った。
私は幼いときからもともと転勤族だったので、幼馴染はいない。
一つの場所に長くいないので、親友もできなかった。
そういう中で、親友は時間じゃないことを教えてくれたのが会いに行った親友だった。
親友は掛けた時間でも距離も関係ないんだと。
親以上に何でも隠さず気にせず心から自分のことを全部さらけ出せる人間が、一人だけでもいることは幸せすぎることなんだ。
すぐには会えない距離だけど、2月はそんな親友に会ってエネルギーもらったから、今年度もあと少し、乗り切ろうって思える。
親友に感謝。
700calある悪魔の食べ物を食べながら思った。
悪魔過ぎて恐ろしいから、また明日半分食べよう。。。
デブ活・・・恐ろしい。
ファシリテーショングラフィック勉強会を実施しました。
一昨日、自分主催のファシリテーショングラフィック勉強会(以下、ファシグラ勉強会)を実施しました。
今回で4回目で、今年初めてのファシグラ勉強会。
今回が一番自信もって話ができました。以前までのスライドでは「私の考える〜」と描いていたのですが、その文章も削除しました。それだけ、自信をもって話せるという確信もあったからでした。
また、レコーディングとファシグラの違いも自分で描いた絵を使い図に表して説明することもできました。
また、ファシグラを描くときに使う空白の使い方も、自分なりにうまく説明できたと感じています。
初めて会をしたときは20名で行いました。
ですが、これはあまり身の丈にあっていませんでした。
それからは10名以下で行い、無理をせず公共施設を使って小さな会にすることで、全員の声を丁寧に拾うというのが、大切にしていることです。
これは、自分が授業をするときにも一番大事にしている視点だからかなぁ・・・なんてぼんやり思ったり。
今年からは隔月で行います。
次回は4月。また近くなりましたらアナウンスします。
今回は皆さん、私の同業者じゃないことが逆に嬉しかったです。
また、東京の田舎なのに、わざわざつくばから目的をもって来てくださった方もいました。ニーズがそれなりにあるのだなと思いました。
少しは落ちいて話せるようになってきたかな。
現場のあってはならないよくある現実
学校現場のよくある話。
出張行くと休憩時間も保証してくれない時もある。
「学ばせていただきました。」はだめなのか
というつぶやきを昨日見かけた。
※ここからは個人思考整理の時間です。
だめではないと思うが、書いた本人にも文脈があり、読み取った本人にも文脈がある。と憶測する。したがって、いいとかだめとかいう範疇を超えていると思う。いいとか、だめなのかとかそういう判断はできないのではないかと思う。
例えば、「学ばせていただきました」が【腹立たしい】と思った文脈には、きっと緻密に学びを積み重ね、力をつけてきた本人に対してこの「学ばせていただきました」は失礼に値すると感じ取っているのだろう。血反吐が出るほどの苦しみをかけた年月の努力を、一時間切り取って見ただけでなにを「学んだの」と言いたいのだろう。
よく分かる内容である。
反して、「純粋に勉強になった、明日からの授業で使えるか考えよう、試してみたい」と思うことはだめなのか。ということについてだが、これは、おそらく勉強になるのは、学級や眼の前の子どもを相手に実践したあとに自分がどのように「実践を整理し、自分の実践として残していくかを考えたとき」が「勉強になった」といえる段階で、セミナーで得たものは、正直学びではなく「情報」だと思う。というのは言いすぎかもしれないが、百歩譲って、セミナーで得た情報をその時自分の頭で咀嚼したときが「学び」になると私は考える。
私は『研修会では、指導力はつきません』と言ってます。『研修会で得られるのは情報や刺激。知識は読書から。指導力は、子供との授業で付くものです。いくら情報と刺激を得ても、授業で子供達を指導しないと付きません。子供達が成長した時、ご褒美として教師に指導力が贈られます』だと思うのです。
— 池田 修 (@ikedaosamu) August 8, 2018
少し言葉は違うが、この説明は納得である。
つまるところ、今Facebookの一部で話題になっているらしい「学ばせていただきましたは、腹立たしい」に対して同じ目線で「学ばせていただきますじゃだめなのか」という疑問は、向いている方向性が違うわけで、そこに疑問を持つのは論外なのかもと思った。という、自分も疑問を持ったので思考の整理をしてみたのだった。
顔真卿ー王羲之を超えた名筆ー 国立博物館
突然ですが、祖父は書家でもあったらしく雅号を持ってました。
その雅号の名前から一文字とった名前を母につけたと聞いたことがあります。まあ、本当は平仮名表記なんですが。
母は書道学校に通っていたくらい書道が好きです。あと、大正大学の書道の先生のもとで勉強していたと話してました。
そんな母と、今日は顔真卿が日本に来ていると言うことで上野まで。
顔真卿の本物の書「祭姪文稿」はなんと90分待ち。でも、次いつ見られるかわからないので並んでみました。
書が面白いなあと思うのは、その人の字の癖や筆の運び、字から感じる息遣いがその人の生きた証を物語っていて、そう言う小さな所作も見られる毛筆は、私も見ていてたまらなく好きです。
書道学校に通ってた母は興奮してましたが、そんな母のちょっとした字についての解説付きで面白かったし、また一つ教養が増えました。
展示会場で、カップルがいたんですが彼氏の方がやたらと書簡に書かれている内容や漢文も読めていて、篆刻の字も読んで解説していてその人の話がめちゃくちゃ面白くて、少しだけさりげなく近くで聞いてました。笑
篆刻とか漢文が読めたら面白いんだろうなあ。
展示会は、字の美しさもさることながら中国の書の変遷、歴史、代表する有名な人の字の特徴、そして顔真卿の人柄が読み解ける書(現物)もあって思考が刺激される面白さがありました。
また筆を持って字を書きたくなりました。
現場のよくあるあってはならない現実
学校現場のよくある漫画を描きました。
しょっちゅうこれです。
負債を抱えたまま
学校公開、インフルエンザに罹った担任の補教、新入生入学説明会、面談2件。
怒涛のような一日だった。
面談期間も始まり、授業準備や、日々の雑務もままならず残業。珍しく最後まで残ってしまった。今日は一番に来て最後。
けれど、抱えていて負債もある程度消化し、貯金に変わった。
やることが多いまま年度末に向かう。見通しを持って仕事がしたい。
授業準備なんて手を抜こうと思えば幾らでもできるのだが、この教材を出したらどう反応するかなとか、この教材をどうやって出したら面白いかなとかそういった修行を考える時間が最高に楽しいと思った日だった。授業を考えて授業しているときが一番楽しい。
働くことの是非を問う
新しい年が始まると子どもも大人も心機一転しようという気持ちになる。
私だってそうだ。
今年、考えたいことの1つに働き方がある。
昨年の末に、職場から一週間の在校時間を提出する期間があった。
それを期に、エクセルで自分で出勤時間と退勤時間、それから在校時間と、在校時間から休憩時間を引いた勤務時間、そして残業時間を毎日記録するようになった。
月末には、一ヶ月の残業時間と一日の平均残業時間の算出もしている。
数というのは不思議だけれど、これをやるだけで働き方に対する考え方が整理され、自分の働き方がより明確になる。
という、働き方に対する考え方が1つ。
もう一つは、経験が少ない先生が持続してこ仕事をやり続けられるかということも考えている。
が、これは、また漫画にするつもりなので今は書かない。
少し前まで見えなかった視点が見えるようになってきた。
自分のことは自分でマネジメントする。
今年はそういうことも丁寧にやっていくことで、自分自身が安心して生活が送れるようにしていきたい(生きたい)。