ちゃんと調べて、正しい情報にアクセスする
情報過多の時代。
私自身たくさんの書き込み、情報に右往左往して疲弊することが多い。
自分から情報に触れることを減らしたり、時に必要な時は情報量を増やしたりする。
そして、それらの情報が本当なのか、という批判的な視点も必要だ。
そんな前置きは置いておいて。
先日、糸賀先生のご著書で何度か出てくる、日本で最初の重度知的障害者の施設がどこにあるか、ふと、調べてみた。
施設の名前から、都心にあると思っていた。
驚いたことはうちからすごく近いところが所在地であった。
これには本当に驚いた。
なんていう縁なのだろうと嬉しさも込み上げて来た。
先入観や偏見を持たずに正しい情報に触れる。
たくさんの口コミや批評の中で自分の考えを確かに持つ。
そんなことをぼんやり考えた。
(ブログの連日記録を途切れさせたくなかった、、、というだけの話でもある)
君は 視線そらさずに 前を見てるから
昨日は、心許せる友人と語った。
たくさんのことを。
ちょっと前までは毎月泊まりで例会をしていたのだけど(笑)久しぶり。
この前のファシグラの会で『話したくない人はいない。みんな自分のことや考えていることを話したいんだ。』と石橋君が言っていたセリフが脳裏に浮かぶ。
そうだよなぁ、まさに。と思う。
がっかりするような悲しい話もあったけれど。
最近は自分のことをもっと、ちゃんと様々な面から真剣に受け止め考えたい自分がいる。
そんなきっかけと時間をくれた友人との時間だった。
ある本に『自分のことを本当にわかってくれる人が一人でもいたら人は幸せだと思う。』という言葉が書かれていたけれどまさにそんな感じ。
私にはちゃんとそういう人がいる。
本当に…本当に、ありがたいことだ。
忙しさの中に見つけるもの
私の場合、発信が減るということは、メンタルダウンのパターンが多い。
最近も、Facebook、Twitter、インスタ・・・ほとんど発信していない。が、ここ最近の浮上してない率はメンタルダウンではない。忙しいのだ。笑
忙しくて、そういう外部に接続する事に気が向かなくなっている。良いか悪いかという話はではない。そういうときもあるしそういう時期なのだと考えている。つなげたり、発信ができなかったりしてイライラする事もない。ちょうどいい疲れと多忙感に追われている。
今年度に入って格段と仕事量が増えた。任されることも多くなった。民間ではなく、仕事の中で講師をすることも多くなった。自主的に勉強会を企画したり、自分で決めて個人通信を出したり内発的動機づけに近いことも増えた。人のために時間を使うことも多くなってきたし、そうしようと意識もしている。
そして、いまそれを楽しんでいる自分がいるということも分かる。
新しく見えてきたこともたくさんある。
地に足をつけて少しずつ、仕事できるようになってきた。世界が広がってきたのだと思っている。
そんな忙しい中でも、おしゃべりすることは公私ともに忘れない。やっぱり自分にとっておしゃべりはとても大切な鍵だとここのところ日々、特に感じている。
そういえばこの雑誌にもそんなことを書いたのだが、おしゃべりは自分の大切にしたい柱のひとつだったりする。
暇は人をダメにするという言葉があるけれども、いまはぐるぐると止まれる感じでもない。しかし暇な時も必要なことも知っている。
忙しくても、朝は決めた時間に早起きをして、コーヒーを入れてブログを書く、本を読む。これは続けている。ブログもこんな私でも20日続いていて密かに喜んでいる。笑
自分のことを分析すると、情報過多になり気持ち的に疲弊していた自分には、今の状態はバランスが取れていると思う。
もう少しこの状態が続きそうだけれども、私は今幸せだと思う。
今日で5月が終わる。少し振り返りをしつつ、また6月に向けて走り出したい。
今日は部屋を掃除しよう。友人が泊まりに来る。笑
あの場所からずっと動けないでいたけれど
自ら動く人の周りには、情報も人も自ずと集まってくるような気がする。
最近、思い当たるエピソードが幾つかあるのだが、その一番ベースは過去の自分が見えているということなのかもしれない。
実習の時は、聞かないと動かないような指導教官だった。私と5歳くらいしか離れていなくて、いまの私くらいの経験年数だったと思う。3年前くらいの運動会の係仕事で一緒になった先生からも『あなたがメインでやって。俺は聞かれないと何も答えないし動かないけど』と宣言され、あのときの自分はとても苦しい思いをした。
いま、驚いたことがあるがこのように少し整理して自分で書くことで、この先述した2人が私と接触したときの経験年数が同じだ・・・・笑
どちらも、だいたい5、6年目のときの先生のときだ。いま気がついた。笑
当たり前なのだが、あのときの自分からすると、『先生なのに、経験値も自分より多い人がどうして動いてくれないんだ。』という思いを少なからず抱いていた。
でも確かにいま、自分自身がこの(少しだけ)不快を抱いた人たちと同じ年数に立ったてる。
どうだうろうか。
同じなのである。やっぱり聞かれた分には答えるけれども、聞かれないならその人はもういいのかなと思うことが増えているし自分からやってあげると動くことはほぼない。
必要な情報には自分でアクセスし、動く力が必要だ。ゴールに行き着かなくても、動けばそのゴールまでの方法を見つけ、方法を見つけることでゴールの鍵を握っている誰かに会え、誰かから情報を得られてゴールに行き着けることもある。
自分を動かすことで、自分が作り上げられていく。
あの時の私には、聞く、困ったことを伝えることができなかった。
いま、それらが完全にできるようになったわけではない。でも、聞く、ヘルプを発信するスキルを毎日必要だといわれている学級で仕事をするようになり、この子達から教わったことがたくさんある。私は随分できるようになってきた。聞いたほうが早いし自分にお得なことが多い。絶対人と関わったほうがいいのだ。
特別支援に関わることで自分が変わった。といえるのだと思う。
それで、今日もまとまりのない文をつらつらと書き殴りそうなので…いや、既に書いているか。
そんな過去の『何も教えてくれない』と文句を垂れていた自分を見返す。
確かに聞けないと、自分から動けないと誰も動いてはくれないし、大人なのだから自分で聞けるのが当然と思われることが多い。それでも大人でも出来ない人がいる。
うーん、まとまらない。
けれど、たぶん、個々にもレベルがあって。
もちろん聞く、ヘルプを出す、聞く・・・をするのは自分、あなたなのだ。
自分にできることは、聞きにくい環境にはしない、聞かれたらいつでも答えるのだからというスタンスが伝わるような雰囲気環境づくりは必要だと思う。
迷走したからこの辺で。
余談だけれども、どんなに気持ちや体の状態が良くなくても、食べる、寝るを守ることは大切。ご飯が美味しいと思えることは幸せなことなんだなとひしひしと思った。
今週もまだ長い。倒れずに行きたい。
『あなた』に武器を!〜教育✕ファシグラ〜
昨日はTeach For Japanで行われた『あなた』に武器を!〜教育✕ファシグラ〜に参加した。違う研修会に行く予定だったが、そちらをキャンセルしてこれは行くしかない!と直感が言っていた。
教員の参加が少ないことも言い方は変だけれども逆に嬉しくて面白かった。石橋くんの話をこういう形で丁寧に聴けるのもすごく良かったし、ワクワクしていた。木村くんから急遽の依頼で、途中突然グラフィックを描いてほしいと言ってくれたので、私も後ろで描くことに。笑
最近は、なんだ来てるなら描いてと言われることが多くなってきた。ありがたいことだ。始めの頃はすごく遠慮していたのだけれど、やっぱり場数なので機会があればどんどん描きたい。
会場の人が持っていた課題意識も、石橋くんの話も面白かった。
お昼ごはんの時に石橋くんの隣で幾つか質問したり、話をしたりした時間も貴重だった。
自分の大切にしていたことが、講座で石橋くんが焦点化して強調していたのでその部分はこれからも持ち続けていこう思った。
なによりも、昨日は異業種の方たちとたくさん関われたことがめちゃくちゃ楽しかった。感想で、グラフィックを教室の子どもに使いたいと言っていた先生の目が輝いていて、思わず声を掛けてしまった。声を掛けられることもあったし、自分から書けたし、本当に様々な人とつながることが出来た。
それから、1人の話を3人でグラフィックするのも楽しかった。フィルターが違い、得意な部分が違うので描き様がまた違う。こんなにワクワクして楽しく描いたのがすごく久しぶりだった。めちゃくちゃ刺激をもらった。
みんなで、あーでもないこーでもない考えながら、話し合いながら進む会は楽しい。
何度かやめたくなることもあったけれども、やっぱり好きだし、もっといろいろなことを試したいから続けられるのだと思う。いきなりすごいわけではなくて、それはずっと続けてきたからなんだということ、そういう信念が必要なんだということを強く感じた。
とりあえず、グラフィックのサークルやりたい。笑
今日は思うところがあって敢えて、どんなことしたのかとか分析的に書くことはせず。それは、改めて、自分の振り返りで丁寧に残そうと思う。
学びの楽しさがそこにある。
昨日から、特別支援教育士の講義に参加した。
巡回校に行くと、ただ特別支援に3年ほど関わっていただけなのにたくさんの先生から相談されたり、支援のアドバイスを聞かれたりする。特別支援の免許もない。でも、専門家とか言われる。知識が追いついていけていない。苦しい。
これではいけない・・・と、思い、特別支援教育士の資格をとることにした。(・・・続けられるモチベへションでありたい)
はじめての講義はどれにしようか迷ったが、いま、私自身が今年に入りLDの子たちと関わることが多くなった。けれども、LDのことは定義ぐらいしかわからない。何をしてあげられるかもはっきりしない。
この講義を受けて正解だった。すごく面白かった。ああ、そうそう、そうなんだよね…っていうすごく納得する部分と、手立てがはっきりしている話が聞けた。特別支援は科学らしい。
その子の困り感を明確にする手立て
- アセスメントする
- 何に困っているのか、特徴を明らかにする
- 特性と子どもの状態の因果関係を明らかにする
- 見えてきたものから対応を考える
そうそう、アセスメントをしないでその子を考え語ることは無理なのだと最近思っていたところに、矢が刺さった感じだった。私はとにかくいつも多岐の教科に渡りその子にノートを持ってきてもらっている。これでいいのだろうか…など思いながら、持ってきてもらい、その子の書く字を見ていたけれど、昨日はピンポイントでその話が出てきた。
アセスメントをしないであれこれ方法を考えてやらせるのは、余計にその子を苦しめることとなる。昨日は、何人もの「あの子たち」の顔が浮かぶ。
何ができるか、が少しずつ見えてきて、すごく面白かった。
早速月曜日から試してみたい。
そして、やってみなきゃ始まらないし、進まないので、『小学生の読み書きスクリーニング検査』を購入した。
小学生の読み書きスクリーニング検査―発達性読み書き障害(発達性dyslexia)検出のために
- 作者: 宇野彰,春原則子,金子真人,Taeko N.Wydell
- 出版社/メーカー: インテルナ出版
- 発売日: 2006/05/17
- メディア: 大型本
- 購入: 1人 クリック: 13回
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私が今したいことは、やはり、学びを現場できちんと活かし還すことなんだろうな。
道程は長いけれど、楽しんでできそうだ。(楽しいことばかりではないと思うけれど)
還元するとはこういうことなの、か
自己申告とかに、「学んだことを職場に還元できるように」とか書くのだけれど、そういうことをしている実感がいままでなかった。
昨日は、放課後、初任の先生の月曜日なんと1時間目にある授業をきっちりじゃないけれど、こんな感じで流すみたいな大体の流れをしたり、教材を確認して作り直したりした。
運動をした後に、活動のポイントを提示する場面があったのだけれど、どうも子どもとそのポイントが貼られている黒板が遠い。ここが昨日気になった(と、いうことは、昨日書いた私のこだわりに繋がる)部分だった。
ファシグラを使った研究会でもそうなのだが、提示、掲示されたものと人の距離が遠ければ遠いほど注意、意識する気持ちは下がる。逆に近ければ近いほど意識するし、使ってみよう、やってみよという気持ちになる。当日どんな効果があるかはわからないけれども、その気になった部分は指摘して改善してみた。そこで、「ポイント」の貼りものを黒板から、可動式の小型のホワイトボードに貼ることを変えた。
「こっちをみて」とか注意しなくても、なにか仕掛け、工夫ひとつで注意が減ってお互い気持ちよく授業が進めばいいなと思う。たしか、そういうことを今週は授業後に伝えた。活動の道具を渡すポイントも工夫すれば注意が減る。わざと刺激物を与えて流されないようにするのがねらいなのか、ポイントを聞いて活動することがねらいなのか。
今週は私自身も、『なんのために』と『こだわること』、『関係性』が今週のキーワードだった。また、アウトプットする場があると、本当に学びが増えるし、自分のこともメタ認知する機会が増え、自分を深く知ることが出来た。
なんだかやっと、少しずつ自己申告とかに書いていた、「学んだことを職場に還元できるように」が嘘じゃなく現実味を帯びてきた・・・かも?
今日から特別支援教育士の資格をとるための講習が始まる。
ゆるゆるといこうと思う。
全ては関係性から始まる。
来週の初任研の準備や、特別支援の学級特有の雑務諸々のため、昨日は結局みんな遅くまで残っていた。週末に近づくにつれて、日数✕疲れの感じで比例していくので、まずは休む。たくさんではないけれど、それなりに休めているし、休む時間を一番確保しようとして意識している。意識することが大事なのだと思う。
先日のミニ校内研修では、若い先生が「関係性を大事にしている」と話していた。私自身も、先日初任の先生に同じようなことを言った。この前、たまたま開いた青山先生のご著書にもそんなことが書かれていた。
そんなに意識はしていなかったのだけれども、特別支援に所属して仕事をしてからこの関係性について実は一番意識していたことに最近気がついた。
話す時、上から話すのか、目線を合わせて話すのか・・・これも使い方次第。意識することで、技になる。個別の学習の時、向き合って始めるのか斜めの位置関係で座るのか。
もともと、心理学部だったからか、パーソナルスペースとか距離感とか、どの位置に座るのかとかそういう細かいことにかなりこだわっていた自分がいたことを最近強く感じる。関係性に関わる心的要因のテクニックは大学で学んだ。けれど、相手は生身の人間であって、ロボットではないのでマニュアル通りにはいかない。
ただ、そういう関係性を意識していると、普段の関わりや授業の作り方、流し方が少しずつ変わってくることを感じている。
少し前までは、こだわりというのは、良くないものに捉えていたけれども、このこだわりがその人を作る大事な要因、信念みたいなものなのかなと思うと、さいきんはこだわって取り組むことが増えてきた。
そんなまとまりのない文章を書いた朝。
今日は雨。チャリはむりかな。
地に足をつけて、愚直に歩む。
どんなに研究会に行っても、どんな本を読んでも私にはそれは間接的なものでしかない。しかし、知識や歴史を知ることで、自分自身に深い学びが起き、系統的や体験的に得たものと真摯に向き合える。
それは、どれも現場、自分の職場が前提にあるから、どういうことを学ぼうとか、こんなことを知りたいという興味や方向性が位置づけられるのだと思う。
私の場合、現場なしに、現場を見ずに自分の学びは生まれない。
昨日は、勤務時間の中で、短いミニ研修をした。来るか来ないかは有志である。私は、こういう小さい校内の会でもどのように作られ、場づくりされ、どんな雰囲気になるのか興味があって参加した。
7年目の若い先生が七年目から見えたこと、どんなことを一番大事にして今日までやってきたかを話してくれた。その後、近くの人と5人くらいのグループで、様々な年齢層で悩みや相談を共有した。
はじめはもっと、こんなやり方…とか、私だったらこうする…、とか偉そうにも少し思ったのだけれども、グループごとの会話の盛り上がりや声量がとても盛んなのに驚きと、自分がこんないい職場で働けている喜びを密かに感じた。
そして、若い先生でもこの厳しい道のりをすごく真剣に考え今日まで歩いてきたということを知って、なんだか胸が熱くなった。人の信念、考えを知ることで、また深く付き合えそうな気がした。
私もやるやる詐欺だったのだが、計画して、特別支援の職場内でもミニ研修を計画する宣言をした。仕事の何処かに、人とつながって、この場所で働けて、なんでも聞けて、一番は・・・ここにいることが楽しいと思う場づくりを真剣にしてみようと思う。
私は割りと、勤務時間外のこととか、仕事に関係ないこととか割り切るタイプだったのだけれど、また違う意味で少し考え方が変わった。そんな一日だった。
教材提示のしかたを考える
昨日は今週始まって2日目なのにとても疲れていた。暑さにかなりやられている。
こういう日は休むことだけ考えたほうが良い。帰ってやることを済まし早々に寝た。今朝は3時に起きられた。スッキリ。しかし、起きても暑い…夏の立場はどうなることやら。
昨日も、使えるなら時間を使って挑戦してみて、と、本番は中学年なのだが、高学年のグループで来週の月曜日の初任の先生の授業の本時をやってみた。
通常の先生からは、どういうことなのかわからないと思うが、特別支援学級は、一日に様々な学年、グループの授業が行われている。昨日は高学年の時間もあって、その時間でも実際の流れ、時間感覚を掴むために本時と同じように授業してもらった。
私もそうなのだけれど、授業もファシリテーションも、研修の作り方も、やればやるほど精度は上がる。気付きも多くなると思う。視野も広がる。だから、1時間でも多く授業をやる、体験することは大事だ。
昨日はたまたま授業前に時間があったので、問いを投げたり相談したりして少し準備をする時間があった。
その中で、子どもそれぞれに個別のめあてを提示するのだが、『どうやって出す?』ということを私からなんとなく、投げかけた。
ただ渡すのか、これは誰のめあてだと思う?と考えさせて渡すのか、なんて書かれていると思う?と出すのか・・・出し方ひとつでも子どもが一瞬、授業に対して興味を示しこちらを向く、記憶に残ることもある。と、言うことを話したら「それは気が付かなかった」と初任の先生は言っていた。教材提示のしかたひとつで授業が変わると体験的にわかっていた私は、自分自身が意外と教材提示にこだわっていたことも昨日伝えることで気がついた。
まぁ、ただ、面白いこととが好きということで、いつも変なことばかり考えているだけなのだけれども。ただ、自分がこの辺のことにこだわっていることが分かったので、私自身がこの辺のことをもう少し勉強し学んでみてもいいのかもしれない。
特に、発達支援が必要な子たちに「見なさい」なんて言ったり「よそ見しない」なんて言ったりしなくても、こちらの出し方ひとつで注意を減らせて、お互いWin-Winの関係で授業が進められたら、楽しいよねきっと。
楽しい授業に勝るものはないと思う。(学びの前に、まず楽しくてこっちに向く…なのかな)
話は逸れたけれども、そういう細かいことの積み重ねが授業を作っているんだと思う。そして、そういうことを意外とこだわる大切さも、初任の先生に対して「どうする?どうする?」と問いを投げることで少し見えた。
というのも、実は福山先生が随分前に、この本の紹介をしていたこともあり、教材提示って…そうか。と思って引っかかっていた部分もある。
あとは、セミナーで土作先生が面白い教材の出し方をしていた。これは真似したい!ということがあったから、自分が気づけたのだと思う。
今日は、カーテンを開けるにはまだまだ暗い。
しかし起きても暑くて、クーラーを付けてしまった。
本日はハンプデイ。折り返しだ。無理せずいこう。