WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

やめるのとあきらめるのとでは 次の道が変わってくる

 

   今日はあることをやめた日。

   先日も書いたのだが、最近の私は無理はしない。そして、自分のそういう芯をきちんと持つことが私が壊れないでいられるのだと思う。

 

   やめただけ。またやるのだ。

   諦めたわけではない。

 

 

    私はこの仕事をするようになってから、降車駅から職場まで毎日、今日の日記のタイトルが入っている歌詞を欠かさず聞く。

   自信のない自分への元気ソング。

   いつも励まされる。元気が欲しくて聞いていたらルーティンになっていた。そして仕事の日は毎日聴き続けて6年間くらい聴いている。人生では19年くらい聴き続けている。この歌が一番好きだ。(笑)

 

 

やめるのと

あきらめるのとでは

次の道が変わってくる

おもい 殘さないで

今 やるだけやろう

   やめたらまた寝かせて始めればいい。

   諦めてしまってはそこまでだ道が閉ざされる。安西先生も言っている(笑)

 

 誰かに誉められる人生

目指している訳じゃないの

私が喜ぶ生き方

ぶつかりながら見つけてく


誰かに認められるより

まず自分を認めなくちゃ

ダメなとこも いいところも

ひっくるめて 抱きしめよう

 

   やめたけどまた次の機会を決めた。

   私はエンジンがかかったように疲れるまで倒れるまでやり続けてしまうことがよくある。止めてもらったり、声をかけてもらったりしないとやめられない時もある。だから、自分のことを丁寧に考えて、自分で止めようと最近は心がけている。

   今日も自分を抱きしめながら、ぶつかりながら生きていく。

 

 

 

ちなみに、気になったので引用についても調べた。

歌詞がメインではなく記事のサブであること。

引用と主張を分けていること、が条件らしい。

この曲のここが好きって言いたい ブログに歌詞を掲載しても違反じゃないのは「引用」だ! - Try Something New

 

 

他者と関わる大切さを教えてもらった

 今週は休み明けのせいかすごく長い一週間に感じた。外に出向く日も3日あって、憔悴した。昨日も、帰ってきてからの記憶があまりない。そんな一週間だったけれど、素敵なこともあった。

 

 今週は私の提案で、レゴワークを一週間、中学年のグループに取り入れてもらった。「自分とはこういう人」というテーマをレゴの造形づくりで表現してもらった。やってみると分かるのだけれど、言葉をうまく扱える年齢になればなるほど、創造も発想も豊かになる。作っているものがうまい、ということではなく、自分が表現できるか、ということだ。

 私は、はじめ、この活動は、いかに自分のことをメタ認知できているかがポイントだと思っていた。だから、いきなり自分のことを言語化する前に、創作活動をワンクッション入れることで、自己との対話をし、自分を見つめ直した上で自分というものを言語化してほしいと思っていた。

 自閉症児は説明が苦手だ。という説がある。実際向き合ってみるとなるほどと感じることがたくさんある。そういう説明における練習も意図してこの活動を取り入れた。

 

 大体予想していたのだが、説明が苦手だったりWISCの結果が低い子は、「自分とはこういう人」というテーマを忘れて「レゴを作る」ことに熱中してしまい、すっかり忘れてしまうのだ。やってみると何人かそういう子どもがいた。

 だけれども、ある日のグループは違った。その子達から、学ぶことがあった。

 その日もレゴワークをやると、レゴマニアと自分で言っていた子は、作ることに熱中し、テーマを忘れてしまった。自分の説明の番になると、出来たものは立派だけれども、言葉に詰まってしまい、なにも言い出せなかった。私も、予測はしていて、そのときは、ファシリテーターとして「どうして窓をつけたのか」とか自分が無意識に選んだものをすくい上げ意識化させる質問を幾つか用意していた。

 すると、隣りにいた子が「〇〇くんの作った、この車はすごく高いけれど、これは〇〇くんのテンションの高さを表しているよね。」といったのだった。鋭い感想で驚いた。それの適切で鋭い感想が、説明できなかった子に響いたようで、説明できなかった本人は、「思いついたのでもう少し説明していいですか」とすぐに切り替えた。この、適切な鋭い意見を言う子がいたから、説明できなかった子は改めて自分に気づくこと、どういうことを言えばいいかということに気づいた。

 その後に、説明できなかった子は、「車を作ったけれどこれは僕の落ち着きのない早い感じに似ている」ということ「窓をつけたけれどこのすぐ後ろにレゴを積んだのはいつも気持ちが一杯になって上手く言えない自分。この窓は心の窓。」ということを付け足していた。立派な説明だったと思う。

 自分で考えが生み出せなくても、人と関わることで新たに気付けること、教えてもらえることがある。自分一人でがんばらなくていい。そういう単純なことなのだけれども、そういう当たり前の大切さを教えてもらった時間があった。私は目の前で大きな風が吹く感覚に襲われた。

 

 言えなかったら私が・・・よりも、やっぱり友達から教えてもらえたほうがいい。友達がいたことで勉強や学びが深まった。そういう大事なことを真剣に感じて味わったほうがいい。そういうことを今週は、子どもが教えてくれた。

 私も受け入れに時間がかかったり、素直に受け止められなかったりしてそういうことをたくさん無駄にしてきた。このやり取りを見て、人と関わる本当の大切さを教えてもらった。

 私自身がうまく言語化出来ないのだけれど、本当にすごい瞬間で目の前に風が吹いた、そんな時間が今週はあった。

 

 

 人と関わる大切さを忘れないでいこうと思う。

 

 

むりはしない。

 『がんばらないことをがんばる』なんて変な言葉なのだけれど、最近よくつぶやいている。こうでもしないと頑張ってしまう自分がいる。

 単純に云うと、頑張ることをしないでいる。

 

 お酒も飲んでいない。飲むといつも飲みすぎてしまう。飲むのは好きだが、なにか自分のしたいことがあるのに飲むとできなくなる。いつもやりたいことが結局飲んでしまい、出来ないというがっかりした気持ちになる。だから、飲まない。

 本を読んで知見を広めたい。だから、本を読む時間を絶対的に確保するために早寝早起きをしている。できれば、3時半くらいに起きるのが理想だ。だから、夜も遅くまで起きない。

 

 でも、この前述した2つは頑張ってやるものではないと思う。疲れてどうしても飲みたいときは飲む。仕事で遅くなったり、どうしても今みたいテレビがあったら遅くまで起きることだってある。「こう決めたからこうしなきゃ」と思った途端にそれが義務になってやることが目的になり、心に負荷が生じる。無理にやっても意味がない。すごく頑張ってやるものでもなし。

 人間関係も同じ。頑張って仲良くなろうとか、頑張って距離を縮めようとかも思わない。関心がある人は寄ってきてくれて、声をかけてくれるし、もっとよければ一緒に仕事や活動もできる。思いだけではない、本気で私に働きかけてくれる人はたくさんいて、私自身はすごく恵まれている、ありがたいことだ。

 でも、それは、頑張って無理につなげた関係ではなく、ゆるゆるとした中で生まれ、続いている関係なのだ。「〇〇だから…」と自分に無理に理由つけて仲良くする必要も、頑張る必要もない。そういう関係からは、いいものも生まれないし、長続きしない。私の経験上。

 

 っていうのを先日のある人の記事を読んで思って、自分にも言えることがあって自分でも整理してみた。その方曰く「よくばるとろくなことなし。しがみつくとろくなことはない。」

 そうそう、よくばらずしがみつかず。

 よくばると心が窮屈になる。しがみつこうとすると心が卑屈になる。

 無理にがんばらないし、無理にひっぱってつなげようともしない、人間関係も。

 

『僕が自閉語を話すわけ』までを読んで。

片倉信夫先生の、一連の四冊を読んだ。

はじめは、「僕が自閉語を話すわけ」の感想にしていたのだが、一冊だけのピックアップが難しくなってタイトルを変えた。

 

これは、自閉症へのハウツー本ではない

 変な話でわからないと思うが、自閉症を「自閉症」とみると「自閉症」でしか見られない。ということを一貫して片倉先生が著書で訴えていたたと思う。

 『自閉症とは』の本の最後に『「僕は自閉症そのものを問題としてこなかった。自閉症児が契機となって派生する人間関係上のトラブルのみを問題としてきている。」と、今は考えているのです。』という一文を読んだ時に内心「ああっ!」と思い、この一文が大好きですし、この一文を大切にして日々過ごしている。

 自分がそのような現場にいながら、「障害」ばかり考えているわけではなく、日々その子自身と向き合ってきた状態をうまく言葉にしてある一文だと思っている。

 四冊(「自閉症とは」、「自閉を砕く」、「僕と自閉症」、「僕が自閉語を話すわけ」)を読むと、片倉先生の苦悩された実践の日々が(自分が想像できる範囲でだが)目に浮かぶ。浮かんで見えるということは、多少なりとも自分の読み解ける力量があるのだろうか…そう思ってもいいかなと思う。

 

それでも技法は載っている

 ハウツーではないと前述しながらも、『自閉を砕く』、『僕と自閉症』あたりには克明な実践記録と手法が載っていた。昔の手法だからと軽視するのではなく、今でもできるのだろうか、誰にあっているだろうか・・・ということが、読みながら自分の脳裏をよぎった。いまは、〈まぐろさん〉をバランスの中で取り入れて行っている。先日、同僚が「まぐろさんをやったあとに片足立ちをしたら、本当にタイムが伸びました。自分もだけれど、本人もびっくりしているんです。」と話してくれた。一度で結果が出た、とあまり思わないようにしている。それでも、子どもがそのことをきっかけに、今後のモチベーションに繋がるのなら、(厳密に言うと「結果」では無いのかもしれないが)「結果」として捉えていいのかもしれないと思っている。

 技術というのは、最近はいいからなんでもやってみよう、より、これをする時、誰に響くだろうと子どもの顔や名前が思い浮かぶ。それで、ゆるゆるとまずなんとなくやってみようかな・・・なんて思うのが最近の自分だったりする。「もしかしたらできるかもしれない」あまり強く思いすぎると、自分の中の感覚で言うと「やらせ」に入ってしまうのであまり強く思わないようにしている。でも、「やらせ」感覚でやらせることも時には大事だ。それで思い出したので次の話。

 

選択させるその先で考えていること

 『どれがいい?』なんて聞くと、笑顔で「どれもいや」なんて言う子がいる。そこで『A、B、Cの中でどれがいい?』と聞くと、やっぱり「どれもいや」とニコニコして答える。少し前までどれも嫌なら無理にやらせなくてもいいと思っていたけれども、片倉先生のこの四冊を読んでいる中で、選ばせない残酷さのようなものを感じて、選択肢を出した時にどれも嫌という場合は自分で決めるまで選ばせるか、嫌でも勝手に決めることを強い気持ちでやることが増えた。もちろん、選ばせてパニックになりそうなときはやらないけれど。

 私が選択肢や選ばせる時に見ているのは、〈選ぶという行為〉もそうだけれどその先にある、ふざけていっているのか、本当なのかということなんだと思う。

 『僕が自閉語を話すわけ』に「アホのふりをしているとなんとでも許してもらえるので、アホは楽なんです。」という記述があったように、ふざけているのか、本当に選べないのか…選択肢を出した時、自分自身がこの部分を見極められるかを自分が自分自身を試しているのかもしれない。

 

 それで、結局どのあたりが本の感想になったのか・・・というところだが、本を読んで自分の考え方、気持ちの持ち方が少しずつ変わってきたと思う。選択肢・選ばせるということ、自閉症ではなくこの子とどう付き合うか・・・とかそういう部分。

 私自身はまだまだだけれども、自戒を込めてもう少し、先人が大切にしてこられた信念や思想に触れて学ぼうと思う。

 

 うまくまとめられなかったのでおしまい。

 

 

自閉症とは

自閉症とは

 

 

 

実践 自閉を砕く―脳機能の統合訓練と人格教育をめざして (障害児教育指導技術双書)

実践 自閉を砕く―脳機能の統合訓練と人格教育をめざして (障害児教育指導技術双書)

 

 

 

僕と自閉症

僕と自閉症

 

 

 

僕が自閉語を話すわけ

僕が自閉語を話すわけ

 

 

教師教育を語り合う会に参加して

 一昨日は、桐朋学園での研修会に参加した。

 

 町支さんのレゴワークというものがどういうものなのか、とても楽しみだった。

 

レゴワーク

 レゴワークは作ることで言葉の表出を助ける働きがあった。学生時代に、箱庭療法を学んだが、それに近い感じがした。町支さん自身もそう語っていた。作ったあとは、グループで説明する活動に入った。レゴ作品があることで、指を指して話す対象になり話題・会話が広がる。この指をさして話せるものがあることは実は重要で、グラフィックに繋がる部分があると私は思う。また、言葉にして外に出すことで、自身の思考が整理されて行く過程を実体験できた。そして、グループで対話することが自分と異なる他者の視点を得られるというポイントだった。人と関わることを大切に考えている自分だからこそ、この他社から得られる視点にキーが合ったことはとても腑に落ちた。

 

 レゴワークは、作ることから始まる。やってみて強く感じたことは、作る過程でも自分の思考がたくさん引き出されたこと。創作、というカテゴリは私にとってこのような働きがあることを再確認出来た。

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 対談のフィッシュボウルの時間はグラフィックを描かせてもらった。グラフィックが「プロッキーが常用」というお決まりを崩してほしいということで筆ペンで描いた。これが決まりということではなく、道具は自分で選べるという崩しがあったようで、参加者は喜んでみていたし、たくさん質問してくださった。参加者だけでなく、講師の方々も大満足だったようだ。私自身も、グラフィックからのリフレクションの時間を担当させていただいたが、良かった部分も、課題も明確に得られた。これで次回に繋げられる。

 

 知らない方々が多い中で、よくよく考えると日本の教育の最先端の方々が携わる会にスタッフとして参加できたこと、またその方々と綿密にお話ができたことが私自身の一番の学びだった。いつも思うのは、結果はすぐに見えない。つながりもいつどこで何年後に仕事、学びに大きくつなが来るのか自分の転機に繋がるのかはわからない。けれどもこうしてまた人とつながりを持てたことが自分自身、大いにうれしかった。

 

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 余談だけれども、早速昨日の授業でレゴワークを取り入れた。いいと思ったらすぐやってみる。この考えは変わらない。町支さんにも、報告させていただいた。

 子どもは作るということが大好きで、なんだか内言をぶつぶつつぶやく子が多数。子どもも指を指して自分の作った抽象的な作品の説明をしていた。

 私自身のレゴワークに取り組む課題は、自由度が高いと、迷う子がいてどのように支援していくかを考えていけたらいいと感じた。

 

芸術にはまる日々

連休が終わる。

カレンダー通りの連休なので、9連級でもなく、ゴールデンウィーク前半などということばは馴染みがなかった。けれども、あえて云うならば、ゴールデンウィーク前半から後半にかけて芸術にはまる日々だった、、、と、思う。

 

美術館もいくつか渡り歩いた。5つほどいったかな。

音楽にも触れた。本物に勝るものなし、と、いつも思う。

 

自己解釈で合理化もいいところなのだが、草間彌生展なんかはひとつのことにのめり込むひたむきさとか、自分の生き方について深く対話しながら見る時間だったし、歌川国芳展は好きなものを大切にしながら、発信する大切さとか改めて考えたし、写真展からは、そのものの良さを取り繕わずそのまま見る大切さ・ありのままでいる大切さ、大切なことは遠くに行かなくても本当は近くにあるということも学んだ。

そんなメッセージを受け取った気がする。

 

美術というのは、自分の深層心理に焦点を嫌でも当ててきて、それで自分の向き合えない部分と対話するきっかけをくれるものだと、私は思っている。

喧騒の日々に自分を見失いがちだけれども、そんな自分を手放さず、繋ぎ止めてくれるのは私にとって美術なんだと思う。

 

小さい頃から毎日絵を描いていたけれど、言葉にできないものは絵にしていたことをぼんやり思い出した。

絵とは、私にとって昔からそういうものだということも、思い出してくれた。

一箇所じゃなく、GWという長い休みの中で様々な芸術に触れることができたからこそ、その連続性から見えた心理があった。

 

自分をなくしてしまいそうなときは、美術に触れよう。

 

 

 

kusama2017.jp

 

歌川国芳 21世紀の絵画力 東京都府中市ホームページ

 

 

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

 

片付けは自己との対話

一昨日から、クローゼットの片付けを始めた。衣替えも始めた。

カレンダーを見ると、来月の〈衣替え〉という時期にきっかりできる自信がなく、ゆったり過ごせている今のほうがいいと思いやった。

 

それとともに、クーゼットその2も思い切って片付けた。

溜め込んだ古い教育新聞、大量の紙袋、、、、などなど出てくる。

全て纏めた。

 

ひとつ決断するとスイスイできるもので、台所も全部ひっくり返して片付けた。

溜め込んだビニール袋。

こう見ると溜め込んでばかりである。(失笑)

ひとつうまくいくと、線が切れたかのようにどんどん捨てられた。捨てまくる。

 

片付け・掃除は黙々とする作業で、自分との対話になる。

溜め込んでいたものと対比するかのように溜め込んでいた自分の気持と対話できた気がする。片付けとか、掃除は苦しい気持ちも、悲しい気持ちも忘れられると昨日は思った。

なんとなく昨日つぶやいたことを思い出すと、忘れていたのではなく、片付けとか掃除という作業を通して黙々とやることで、自分の気持ちも整理していたんだと思う。

 

掃除機も掛けて床拭きもできたし、ゴミ箱も洗ったし、洗濯機も朝から2回回して布団を洗い干した。

生産的な時間だった。

一番無視していた自分の気持ちも少し整理ができた。

月に一度は、こういう時間を大切に取らないと自分はダメになると思ったので、早速来月のカレンダーに書き込もうと思う。

 

 

余談だけれども、一昨日の記事に書いたメールを読み返して、すぐに森信三氏の本を買ったら、即届いた。掃除の合間に読んだけど、すごく面白い…というか、こういうことを言語化できる人たちは尊敬するという気持ちでいっぱいになった。

 

連休ももうわずか。少しずつ現実に戻ろう。