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WEDGE

迷いながら自問する日常。書くことで未来を紬ぐ。

全ては関係性から始まる。

 来週の初任研の準備や、特別支援の学級特有の雑務諸々のため、昨日は結局みんな遅くまで残っていた。週末に近づくにつれて、日数✕疲れの感じで比例していくので、まずは休む。たくさんではないけれど、それなりに休めているし、休む時間を一番確保しようとして意識している。意識することが大事なのだと思う。

 

 先日のミニ校内研修では、若い先生が「関係性を大事にしている」と話していた。私自身も、先日初任の先生に同じようなことを言った。この前、たまたま開いた青山先生のご著書にもそんなことが書かれていた。

 そんなに意識はしていなかったのだけれども、特別支援に所属して仕事をしてからこの関係性について実は一番意識していたことに最近気がついた。

 話す時、上から話すのか、目線を合わせて話すのか・・・これも使い方次第。意識することで、技になる。個別の学習の時、向き合って始めるのか斜めの位置関係で座るのか。

 もともと、心理学部だったからか、パーソナルスペースとか距離感とか、どの位置に座るのかとかそういう細かいことにかなりこだわっていた自分がいたことを最近強く感じる。関係性に関わる心的要因のテクニックは大学で学んだ。けれど、相手は生身の人間であって、ロボットではないのでマニュアル通りにはいかない。

 

 ただ、そういう関係性を意識していると、普段の関わりや授業の作り方、流し方が少しずつ変わってくることを感じている。

 

 少し前までは、こだわりというのは、良くないものに捉えていたけれども、このこだわりがその人を作る大事な要因、信念みたいなものなのかなと思うと、さいきんはこだわって取り組むことが増えてきた。

 

 そんなまとまりのない文章を書いた朝。

 今日は雨。チャリはむりかな。

 

 

地に足をつけて、愚直に歩む。

 どんなに研究会に行っても、どんな本を読んでも私にはそれは間接的なものでしかない。しかし、知識や歴史を知ることで、自分自身に深い学びが起き、系統的や体験的に得たものと真摯に向き合える。

 それは、どれも現場、自分の職場が前提にあるから、どういうことを学ぼうとか、こんなことを知りたいという興味や方向性が位置づけられるのだと思う。

 私の場合、現場なしに、現場を見ずに自分の学びは生まれない。

 

 昨日は、勤務時間の中で、短いミニ研修をした。来るか来ないかは有志である。私は、こういう小さい校内の会でもどのように作られ、場づくりされ、どんな雰囲気になるのか興味があって参加した。

 7年目の若い先生が七年目から見えたこと、どんなことを一番大事にして今日までやってきたかを話してくれた。その後、近くの人と5人くらいのグループで、様々な年齢層で悩みや相談を共有した。

 はじめはもっと、こんなやり方…とか、私だったらこうする…、とか偉そうにも少し思ったのだけれども、グループごとの会話の盛り上がりや声量がとても盛んなのに驚きと、自分がこんないい職場で働けている喜びを密かに感じた。

 そして、若い先生でもこの厳しい道のりをすごく真剣に考え今日まで歩いてきたということを知って、なんだか胸が熱くなった。人の信念、考えを知ることで、また深く付き合えそうな気がした。

 

 私もやるやる詐欺だったのだが、計画して、特別支援の職場内でもミニ研修を計画する宣言をした。仕事の何処かに、人とつながって、この場所で働けて、なんでも聞けて、一番は・・・ここにいることが楽しいと思う場づくりを真剣にしてみようと思う。

 

 私は割りと、勤務時間外のこととか、仕事に関係ないこととか割り切るタイプだったのだけれど、また違う意味で少し考え方が変わった。そんな一日だった。

 

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教材提示のしかたを考える

 昨日は今週始まって2日目なのにとても疲れていた。暑さにかなりやられている。

 こういう日は休むことだけ考えたほうが良い。帰ってやることを済まし早々に寝た。今朝は3時に起きられた。スッキリ。しかし、起きても暑い…夏の立場はどうなることやら。

 

 昨日も、使えるなら時間を使って挑戦してみて、と、本番は中学年なのだが、高学年のグループで来週の月曜日の初任の先生の授業の本時をやってみた。

 通常の先生からは、どういうことなのかわからないと思うが、特別支援学級は、一日に様々な学年、グループの授業が行われている。昨日は高学年の時間もあって、その時間でも実際の流れ、時間感覚を掴むために本時と同じように授業してもらった。

 私もそうなのだけれど、授業もファシリテーションも、研修の作り方も、やればやるほど精度は上がる。気付きも多くなると思う。視野も広がる。だから、1時間でも多く授業をやる、体験することは大事だ。

 昨日はたまたま授業前に時間があったので、問いを投げたり相談したりして少し準備をする時間があった。

 その中で、子どもそれぞれに個別のめあてを提示するのだが、『どうやって出す?』ということを私からなんとなく、投げかけた。

 ただ渡すのか、これは誰のめあてだと思う?と考えさせて渡すのか、なんて書かれていると思う?と出すのか・・・出し方ひとつでも子どもが一瞬、授業に対して興味を示しこちらを向く、記憶に残ることもある。と、言うことを話したら「それは気が付かなかった」と初任の先生は言っていた。教材提示のしかたひとつで授業が変わると体験的にわかっていた私は、自分自身が意外と教材提示にこだわっていたことも昨日伝えることで気がついた。

 まぁ、ただ、面白いこととが好きということで、いつも変なことばかり考えているだけなのだけれども。ただ、自分がこの辺のことにこだわっていることが分かったので、私自身がこの辺のことをもう少し勉強し学んでみてもいいのかもしれない。

 特に、発達支援が必要な子たちに「見なさい」なんて言ったり「よそ見しない」なんて言ったりしなくても、こちらの出し方ひとつで注意を減らせて、お互いWin-Winの関係で授業が進められたら、楽しいよねきっと。

 楽しい授業に勝るものはないと思う。(学びの前に、まず楽しくてこっちに向く…なのかな)

 

 話は逸れたけれども、そういう細かいことの積み重ねが授業を作っているんだと思う。そして、そういうことを意外とこだわる大切さも、初任の先生に対して「どうする?どうする?」と問いを投げることで少し見えた。

 

 というのも、実は福山先生が随分前に、この本の紹介をしていたこともあり、教材提示って…そうか。と思って引っかかっていた部分もある。

資料提示の技術 (教育技術文庫)

資料提示の技術 (教育技術文庫)

 

 

 あとは、セミナーで土作先生が面白い教材の出し方をしていた。これは真似したい!ということがあったから、自分が気づけたのだと思う。

 

 

 今日は、カーテンを開けるにはまだまだ暗い。

 しかし起きても暑くて、クーラーを付けてしまった。

 本日はハンプデイ。折り返しだ。無理せずいこう。

 

 

授業をみる

 日の出がずいぶん早くなった。少し前までは、この時間も電気生活だったけれども、朝日が嬉しいのでカーテンを開けて今日から過ごしてみる。

 

 初任の先生の研究授業の期日が迫っている。先週から月曜日は、その先生の前段階の授業をしている。

 授業というのは観ていて思うけれども、つくづくその見ている人自身の器、技量がないと見えるものも限られてしまう。どういう視点で見るか…と、常に考え続け、あとでアドバイスするためにとか、記録するためにとかそういう授業後に「何かする」ということがない限り、いつもぼんやり、なんとなく見てしまうし、現場の先生は忙しいけれども、定期的にこの「観る」ということをしないと、授業をみる視点、思考は研ぎ澄まされないなあ…と昨日は自分が体験した。

 ただ、授業と同じで、たくさんの指示、たくさんのポイントで見ようとして欲張りすぎると、自分の場合は結局手付かずになる。3つくらいポイントを決めて、それでも、他に気になったことを気がついたことがあればラッキーだなくらいだ。そういうことを考えて今日も授業を見てみようと思う。

 現場は毎日が学びで、研修だ。本当にそう思う。

 

 話は変わって、昨日からまたある目的で、毎週個人通信を出すことを決めた。

 向かいにいる初任の先生は私は直接指導する役割ではないのだけれど、隣りにいる初任の先生にあげたのを見逃さず、自分も欲しいと話してくれた。(大したこと書いてないんだけど。苦笑)

 アンテナが高い人の周りにはきっと、それだけれ情報や知識が蓄積されていくのだろうなと思った。アンテナを高くすることは大切だし、自分から動かないと情報も気付きも得られないんだろうなと思った。

 ただ、その集めた情報をどのように料理したり、整理したりするのもその人の力量次第なんだろうな。

    でもやっぱり、若いうちは良し悪しはわからないから、がむしゃらにたくさんの情報を仕入れ、がむしゃらに人とつながるといいなと思う。

 現場は学びだらけだ。今日もその学びにを拾えるようにしたいなあ。

 

 昨日は暑すぎてまだ火曜日なのに、流石にちょっと疲れている・・・。

 

場作りを考える

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 昨日は、日本ファシリテーション協会東京支部の例会に参加した。

 私がいま、やりたい、学びたいと思っていることの柱が3本ほどある。そのひとつがファシリテーションだ。

 昨日の課題は難しく、色々なグループで、まず課題の確認が始まっていた。笑

 参加者として行ったけれども、研究会を作る、課題をどうするかという難しさも考えてしまった。

 

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 『場作り』と言うのは、会議や関係性において一番ベースになるものだと思う。その『場作り』をどのように作っていくのかが興味があった。昨日は20人ほどの少人数での開催だったため、研修会のサイズもちょうどよく、話し合いも5人ほどのグループで充実した話し合いができた。

 異業種と関わると様々な視点、切り口からの話が聞ける。昨日は、大学の先生や企業、営業の方とたまたまグループがおなじになり、ひとつのワークをこなしていった。

 枠を決めて話し合うことで、思考が整理され、次に何について、どのように話していけばいいのか思考がクリアになる。

 話し合いのなかで大切なことを幾つか学んだ。

 ファシリテーションは、理論や技術も必要だけれども、経験しないと磨かれない。

 もっとファシリテーションを経験して、自己研鑽できるようにしたいなと、また昨日強く思った。

 

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本は人に会える時間

 私には、毎日のように思い出しずっと引っかかっていたエピソードがあった。

 先日、とある人達とすごく久しぶりに再開した時があった。久しぶりなので、それぞれが何をしているか話すことになった。私も特に隠すことなく特別支援に関わって仕事をしていること、どういう子たちと関わっているかを簡単に話した。私の次に話した人が、しみじみと「自分の子どもが発達障害などもって生まれなくてよかった」といった。このことがずうっと脳裏に張り付いて仕方がなかった。なんとなく、自分の気持ちがあるのだけれど、それを言語化してはいけない、そういう思いだった。

 昨日の移動中に、同僚の大先輩が貸してくれた、『福祉の思想(糸賀一雄)』をずうっと読んでいた。そこに書かれていた言葉が、私のそのもやもやした気持ちを払拭してくれた。

「この子たちにこんなものができるとは夢にも思わなかった」

と感嘆する人もある。そして同時に、

「うちの子はこんな子に生まれないで、それだけでも感謝しなければならない」

と心のなかでつぶやいているのである。この感嘆とつぶやきは、じつは、同じ根からうまれたものである。どんなにかくしても、そこには精神薄弱児に対する軽蔑の気持ちがひそんでいることは否定出来ないのであろう。

 ああ、自分のもやもやしていた気持ちって、これのことだったのかは、はっきりした気がした。「軽蔑」と頭でわかっていても、言い切れなかったし、本当はそう思っていないと願っていたのだと思う。

 こんな昔の本にかかれていても、いまでも同じ事がある。今週も、「特別支援に通っているから・・・」と言われ軽蔑されて泣いていて子を見て、引き裂かれそうな思いになった、すごく辛かった。特別支援やインクルーシブと言われる言葉が増えてきている中でも、まだまだそういう事実があることを知識でなく、実際に感じた。特別支援の仕事は楽そう、と思われているのも軽蔑なかも知れない。

 糸賀先生にはもう会えないけれど、糸賀先生の本を読んだことで、背中を押してもらえたような気持ちになった。それは『この子らを世の光に』を読んだ時に確実に感じた。本は、会えない人に会わせてくれる時間を提供してくれる。

 糸賀先生や片倉先生の本を読んで、そしてそういう「軽蔑」がまだ残る中で、自分のできることは何なのかということをずっと考えている。

 

 

 話はそれるけれども、築地先生のビデオを見た。以前、鈴木恵子先生の講座でも見たことがあったけれども、子どもが生き生きしているのである。

 すごいと言われる先生は確実に何処かで個の対応の手を打っている。個の対応を担任がどの位、どういう時に、どのようにされているのかに気づくのは、参観者の見る器、技量でしか受け取れない。そして、1時間の授業のなかで個の対応は一つだけではなく緻密に多岐にわたって、されている。

 築地先生のビデオを見て、杉渕先生の学級を直接見に行ったときの感覚と繋がった。

 

 

 今日も少しだけ学びに出かけよう。

 

 

福祉の思想 (NHKブックス)

福祉の思想 (NHKブックス)

 

 

 

それでも明日はやってくる。

 長い長い一週間だった。

 悩み続けた一週間だった。でも、また来週も悩むんだと思う。

 

 本当にその通りだと思う。授業にも、人間づきあいにも、人生にも完成形はない。

 肯定し続け、そしてあるときは自分の行いを批判的に見ることでしか自分という存在は続けられないのではないかと思う。それは、時に「できた」という達成感や成功体験は必要だけれども、それらばかりが続くとも限らない。

 

 けれども、そういう悩みや言語化が自分の中でうまく出来ないもやもやを口に出し、聞いてもらい、共有することで気持ちが軽くなったり、次に進む糸口が見えたりすることがある。今週は、沢山の人が私の話を聞いてくれて、沢山の人が考え・思いを共有してくれて、沢山の人が私の悩みを言語化したり、つぶやいてくれたりした一週間だった。そして、そういう体験を子どもにも伝えられた一週間だった。

 昨日は、疲れて気がついたら床に倒れていた。見ていた金曜ロードショーもいつの間にか終わっていた・・・笑

 仕事がつまり、うまく回らず疲れた一週間だったけれども、私は楽しく過ごせたと思う。そうやって少しずつ積み重ねていく。

 

 また来週。

 

 

すごくどうでもいい話だけれども、「自己の肯定」をキーワードにしたら、ニーチェにぶつかった。だから、今はすごくニーチェが読みたい気分。

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)